かつて大新聞の政治部長が、現役時代にこう語ってくれました。
「政治家に2回ご馳走されたら、1回は屋台のおでんでいいからお返しをする。それが、記者の矜持というものです」
実は、新聞記者は雑誌と違って取材費はそれほど出ません(取材謝礼も支払われませんが)。ですから、政治家にお返しするときは自腹を切ります。確かに高額なお返しはできないでしょうが、それでも2回に1回はお返しをしていた記者もいるのです。
旧知の間柄だった野中広務氏が
会食で必ず配っていたお土産とは
私は、晩年の野中広務氏(元自民党官房長官)とは、親しくお付き合いをさせていただきました。私の現役時代は、私の父と野中氏が地元の京都で盟友の間柄にあり、野中氏が国会議員になる前は、当時の蜷川虎三を擁する全京都民主戦線統一会議(「日本の夜明けは京都から」をスローガンに、日本を社会主義国家にすると広言していました)とたった2人で対決していたことがありました。そのため私は、記者になってからは「なにか意図的な情報ではないかと思われかねない」との遠慮があり、野中氏との深いお付き合いは避けていました。
が、私も編集長職が終わり、野中氏も引退してから、親しく話ができるようになりました。父の想い出話などを聞きながら、誕生会を開催したり、上京する度にエッセイストの阿川佐和子さん、作家の林真理子さん、元阪神タイガースの江本孟紀氏、芸能レポーターの梨元勝氏、元プロ野球監督の野村克也氏らを招いて、気楽な雑談会を開いたりしていました。
そうした場で聞いた話は、人生にも仕事にも役立つものでしたが、野中氏はそこでも潔癖で、必ず会費制を主張し、その替わり野田聖子氏、古賀誠氏など親しい議員をつれてきました。57歳で国会議員となり、出世が早くて多忙を極めた人生でしたから、作家や文化人との付き合いが少なく、こうした会合がとても楽しみだったらしいのです。