私は京都の首領(ドン)と言われた地方議員の息子でした。しかし、当時は国会議員の「文書通信交通滞在費」や「立法事務費」にあたるものはなく、2000年代になって地方議員に「政務活動費」が認められましたが、それまでは「歳費」だけが収入でした。政治活動に関する費用も歳費から。つまり歳費は月給ではなく、運転資金でしかありません。

 しかし、日本社会はお歳暮、お中元の世界です(現在は選挙区民への贈答は禁止)。ある人から父がもらったものを、他の人にたらい回しするのが家族の大事な仕事でした。父はいわゆる献金は断固拒否という人でしたから、今の地方の首領とはだいぶイメージは違います。それに、京都は共産党政権下。少しでも手を抜くと、府警に逮捕される可能性もあります。選挙ポスターでさえ、わずか1ミリでも他人のものより小さくつくるほど気を遣っていました。

日本の風土で「政治とカネ」の
正解を見つけ出すのは難しい

 今回は昔話に終始しましたが、「政治とカネ」は昭和の時代から問題になり続けていました。しかし一般人の日常においても、お歳暮、お中元、お年玉、手土産、会食は会社や同窓会の先輩が払うことが半ば慣習化しています。そんな風土で、国民生活にマッチした「政治とカネ」の正解を見つけ出すのは、一朝一夕にできるものではありません。

 党利党略で「政治とカネ」をテーマにするのではなく、日本人全体の問題として考え直すための「覚悟ある改革」が必要です。悪いのは自民党だけではありません。公明党には創価学会が、野党には労働組合が支援団体として存在します。宗教法人への課税(収益事業は除く)や労働組合費への法人税課税などは、自民党への企業献金同様、議員たちで決められるわけがないのです。

 当連載で何度も述べましたが、議員の歳費、選挙区、世襲の是非、献金の禁止など、議員たちが自分で厳格なルールを決められる制度はありません。これはすべて第三者委員会や国会議員以外の人々で決めるべきことだと私は思います。

(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長 木俣正剛)