実家で弟の死を知ったやなせたかしは、しかしそのとき泣くことができませんでした。

 千尋は「フィリピン沖バシー海峡の海底に沈み、遺骨も何もなく、骨壺の中には海軍中尉柳瀬千尋と書いた木札が一枚だけだった。なぜだか僕は涙は出なかった。なんとなく予感があったのである」(『やなせたかし おとうとものがたり』)。

たった1人でアンパンマンを
世の中に送り続けた

 その後も、やなせたかしは、愛する肉親の死に目に会うことができませんでした。

なぜアンパンマンは大人をも魅了するのか?愛するすべてを失っても描き続けた、やなせたかしの壮絶すぎる人生とは『アンパンマンと日本人』(柳瀬博一 新潮社、新潮新書)

 実の母の死に目にも、伯母の死に目にも会えませんでした。

 いちばん親しい愛する人と、死に別れ続ける。

 70歳すぎてアンパンマンがアニメ化で大ヒットしたあとも、1993年に1歳年上の妻、暢をガンで亡くします。子どものいなかったやなせたかしは、全ての肉親を失い、その後20年にわたって、アンパンマンの物語をひとりで世の中に送り続けます。