このような態度にはとてもたくさんの利点があります。たとえば、自分に自信がつき、積極的に情報を求めるモチベーションが生まれ、状況や人々により効果的に影響を与えるスキルを磨くことができる。

 それに加えて、自分がコントロールしているという自信がある人は、成功を求める気持ちが高まったり、あるいは政治活動に熱心になったりもします。

 これは考えてみれば当然のことでしょう。自分の行動には世界に影響を与える力があると信じていれば、その行動を起こす確率が高まるからです。

運のせいにする生き方も
悪くないのかもしれない

 その一方で、ロッターは「コントロール権は自分の外にある」と信じている人は、「物事の結果は、偶然や運に左右される、力を持つ他者がコントロールしている、あるいは単に予測できない」と考えると説明しています。

 こういった運命論的なものの見方にも、それなりの利点はあります。

 たとえば、全般的に物事を素直に受け入れられるといったことです。ある物事について、自分にはコントロールする力はないと感じている人は、きっと何が起こっても動揺することはないでしょう。その結果、だいたいにおいて平常心で人生を送ることができます。

 あるいは、物事に執着せず、すぐにあきらめる性格になるかもしれません。

書影『「運のいい人」の科学 強運をつかむ最高の習慣』『「運のいい人」の科学 強運をつかむ最高の習慣』(ニック・トレントン著、桜田直美訳、SBクリエイティブ)

 まとめると、コントロール権は自分の中にあると強く信じている人は、自分の行動の結果に責任を持つということです。彼らは、自分で決めた目標を達成するために行動を起こします。

 そして、もしその行動が失敗に終わったら、自分の能力が足りなかったから、努力が足りなかったからだと考える。

 その一方で、コントロール権はだいたいにおいて自分の外にあると感じている人は、自分の成功や失敗は運の結果だと考える傾向があります。

 他の多くの性質と同じように、「統制の所在」も白黒はっきりつけられるものではなく、むしろグラデーションになっています。

 完全にどちらかに偏った人もいるでしょうが、たいていの人はどちらの性質も持っています。