つまり、私の父親は最悪の環境で成長した。虚栄心ばかりが強くて、生きる力はまったくなかった。他人を理解する力はまったくなかった。もちろん子どもを理解する力もまったくなかった。
自分のコンプレックスを
子供におしつける親たち
始末が悪いのは、子どもが嫌いということを認めないことである。親は子どもを好きで「励ましている」と思っている。
「子どもが嫌いでしょう」と言うと、ムキになって「いえ、とんでもない、何でそんなことを言うんですか、子どもは大好きです、だから子どもを励ましています。子どもの将来が心配で」と言う。
しかし、一時も子どもの心を休ませない。常に内面から子どもを駆り立てる。駆り立て続ける。それは、親が自分の心理的葛藤を解決しようとするばかりで、子どもを見るゆとりがないからである。
親の内面的強迫性の外化(編集部注/自分の中にある問題を、外にある他人や状況の問題だと認識することで心を守ろうとすること)である。
親からすれば、子どもをそのようにいじめ続けなければ自分の気が済まないのである。
こういう親は、自分が生き延びるために「子どもをいじめる必要性がある」。
そうするまいと思っても、そうしないではいられないのである。親自身がそうする自分を止めようにも止められない。それが親の内面の強迫性である。
親は子どもの心の自由を奪うことがある。父親がそのようなことをして、自分の心の葛藤を解決しようとすることがある。子どもは完全に心の自由を失い、他者への攻撃ができなくなる。親が理想の自分と現実の自分のギャップに苦しみ、絶えず自分を偉くしなければならないという焦りを感じ、その焦りを子どもに外化してプレッシャーをかける。
自分で自分の劣等感を解決できないで、子どもにプレッシャーをかけることで解決しようとしている。
深刻な劣等感の結果として、内的強制を感じている。その内的強制を外化する。それが他者にプレッシャーをかけるということである。