銘酒<獺祭>を世に送り出した旭酒造の桜井博志社長が迎えるのは、「曲がる器」や「富士山の杯」など100%スズ製のテーブルウェアで話題の鋳物メーカー「能作」で直販拡大を指揮する能作克治社長です。お酒造りと鋳物造り…まったく畑の違う伝統産業を率いるリーダー同士が、「伝統を革新する」面白さや、世界に冠たる日本のモノづくりを海外に発信する際の難しさなどについて語り合いました。

能作克治(のうさく・かつじ)
1958年福井県出身。大阪芸術大学芸術学部写真学科を卒業後、新聞社勤務を経て、1984年に義父が経営する能作に入社。2001年東京原宿バージョン ギャラリー展示を機に、直販を徐々に拡大してきた。02年に代表取締役就任。東京都内を中心に直営ショップを増やしているほか、アジアや欧米など海外にも積極的に展開中。13年「第5回ものづくり日本大賞 経済産業大臣賞」賞受賞。売上高は前期の6億円から今期は8.5億円見込み。

能作 今日はお目にかかるのを楽しみに来ました。ご著書『逆境経営』を拝読したら、あまりに自分と共通項が多くて驚いていたんです! 桜井社長は昭和59(1984)年に社長を継がれたんですよね、私も同年に義父が経営する能作に入社したんです。今は自主開発製品の直販も増えましたが、当時は社員7人ぐらいの、まだ問屋さんに素材を提供する下請けメーカーでした。

桜井 こちらこそ宜しくお願いします。そうなんですか。昭和59年は私が社長を引き継いだ最初の年で、売上高は前年比85%とひどい状態で、今も忘れられません(笑)。「売れない」と社員の前で言うと、明日から来なくなるかもしれないから言えませんでしたよ。

能作 「会社の成長が社員の教育につながる」というお考えも、まさしくそうだな、と実感しながら読みました。うちも今では若い社員が増えたので、痛感してます。

桜井 能作さんは入社から17年、職人として腕を磨かれたとか。報道カメラマンから鋳物師へというのも、大きな転身ですね。

能作 そうですよね。もともとコマーシャルフォトがやりたかったので、報道写真にはなじめなくて、高岡が実家の福井に近いこともあり、割とあっさり来てしまったんです。

 能作は、加賀藩主の前田利家が鋳物師を招いて始まった“高岡銅器”の街、富山県高岡市で大正5(1916)年に創業して、仏具や茶道具などを作っていました。といっても、もともと江戸時代は殿様が職人を抱えて、お金出すから作りなさい、という構図ですから、製品の原型づくり→鋳造→仕上げ加工→着色という効率的な分業体制が広まっていて、能作はそのうち「生地屋」と呼ばれる、鋳造して加工するまでの工程を担ってきたわけです。

桜井 なるほど。お殿様の号令で始まったというのは、山口の萩焼なども同じですね(編集部注:萩焼は1600年代初頭に、毛利輝元の命で始まったとされる)。

能作 そうです。景気がいいときは得意分野に集中できていいんですが、悪くなると問屋さんは「売れないから」と売ってくれなくなって、高岡でも売上高がピーク時の3分の1か4分の1に落ちました。