リスクはわかりやすく、チャンスは想像しにくいもの
河合 いまの学生さんを見ていると、やはり損得勘定で考える傾向が強いように思いますね。
高橋 まだ20代の若い社員も、「自分のキャリアにとって、どんな得があるんですか?」という言い方をする人が増えています。彼らにとって海外経験はネックになると判断される。なぜならリスクがあるから。
リスクってわかりやすいでしょ?海外に行くとこんな大変なこと、こんなリスクがあるというのは見えやすいですよ。でも、どんな学びがあって、どんないいことがあるかというチャンスは、想像するのが難しいんだよね。
だからこそ、大きなジャンプになるような経験というのは、往々にしてマイナス面ばかりが見えやすい。損得勘定をする人はそれを避けるので、ドン詰まりのキャリアに入っていく可能性がある、という感じだと思います。
河合 高橋さんは、彼らにとっての得とは何だと思いますか?
高橋 自分はこういう仕事に就いて、将来こうなりたい。それに役に立つのか、立たないのか、ということはあるのかもしれない。なんでこんなふうになってしまったのかと考えると、日本の教育自体が、そうなっているような気はします。中身ではなく点数を重視する教育に。資格もそうでしょ。日本の資格は、資格を取ることと、それがその仕事で役に立つことのギャップが大きすぎます。
河合 そうですね。たとえば、TOEICはまさにそうだと思います。TOEICイコール英語力ではありません。高得点者のなかにもまったく話せない人がいます。
高橋 最大の問題は、客観的であることを重視するからです。
河合 重視しすぎるんですよね、平等や客観という価値を。
高橋 そうだと思います。結局、手段化してしまうでしょ。こんな勉強をしても中身は意味がないけど、受からなければ仕方ない。その考え方も損得、功利的になりますよね。
河合 でも私たちが受験していたころから、そういうのはありませんでしたか?受験に関係ない教科は勉強しないとか。
高橋 ありましたね。あったけれど、いまはもっとひどくなっている。たとえば、数学の問題を解いていておもしろくなってくると、難問集のように歯応えがある問題にチャレンジしたいという気持ちが湧いてきましたよね。高校・大学受験の教育産業の人に「そういうことは、いま、ないんですか?」と聞いたら「ないんですよ」と言っていました。
要するに、それ以上勉強しても、私が受けたいのはこの大学なんだから、やっても無駄だと思って勉強しない。いまは完全にテクニックだけになって、受験に役立たない、難しい問題はまったく好まれない時代になってきた、と言っていました。
河合 テクニック偏重になっている、と。
高橋 昔から、日本の受験戦争はよくないと言われてきたけど、競争に負ける子がかわいそうだからというバカな発想をするからいけないんですよ。日本の受験戦争の最もよくないことは、子どもたちをテクニック論に走らせたことです。
河合 そうですね。
高橋 受験戦争そのものがいけないというよりも、受験戦争のあり方の問題です。またアメリカの例えですが、私の姪っ子を見ていても、大学を受けるとなると、いかに自分の特徴をアピールしていこうかといろいろ考えるんですよ。
河合 いろいろありますよね。エッセイも書かなければいけない。インタビューもあります。高校3年間での勉強はもちろん、課外活動やインターン、社会貢献なども考慮されます。
高橋 そう。姪は英語はネイティブですが、日本語も流暢に話せます。すると、その大学には日本語を教えるコースもあるから、日本語力があることをアピールするような文章を書く。それは勉強に限りません。ダンスで全国大会に出場したからと、ビデオをつくって送ることもある。
河合 そういうことをやりますよね。まず、学生を選考するアドミッション・オフィスの人材が一流です。日本ではそれをすべて先生に求めていますが、アメリカの大学では入試選考の専門スタッフがいて、優秀な生徒を選ぶことに専心しています。
高橋 大学側が示している入学の基準は何もありません。ただ、少しでもいい影響を与えられるんじゃないかという憶測のもとに、自分でいろいろ考えて、自分なりにできることに取り組むわけです。日本でそういうことをすると、不公平だと言われますよね。全員に「ビデオを出させろ」と言われてしまう。