仕事において努力したプロセスは無意味
和田 ちょっと反論したいんですけれど…。
楠木 どうぞどうぞ。
和田 一方で、成長には時間がかかる人もいますよね。短期的な結果を急ぐあまり、人としてひと皮むけるまで時間がかかる人に対して、待つ土壌みたいなのがなくなっている。ちょっと世知辛くなっている部分もあるのかなと思うんです。
楠木 それは思います。ただ、僕が言いたいのは、測定的な意味での成果主義じゃないんです。別に定量的に管理しなくてもいい。ただ、仕事は要するに、成果がすべて。これは絶対の原理原則ですね。楽屋裏はどうでもいい。本人が何をやって、どういうプロセス、どうでもいいから、成果を出してよっていう考え方なんです。
若い人を組織が雇い、そこにいてもらうということは、いまはまだ、すぐに成果が出なくて当然だけれど、結局こいつはやるよなって思っているからだと思うんです。そこから先、雇用を与える以上の配慮は、必要ないと思うんですね。
その後のことは本人が、成果を出したくて、いろいろとやっているはずなんですし、そうするのが当然です。成長してねという気持ちだけで十分かと。
舞台裏を前面に出す人は、僕は嫌いです。ただの個人的な好き嫌いなんですけどね(笑)「こんだけ努力してきました」とかは、趣味の世界では許されても、仕事では意味がない。
和田 本の中にあった『「世界一」と「頑張った」は、寝言だ』というフレーズは、痛快でした。
楠木 やたらとね、自分はどれだけのプロセスとか、努力を経てきたのかっていうことを言う人がいるんですよ。仕事としては、まったく関心ないですよね。それね、お家に帰って配偶者に話してくださいと。
もしくは、飲んでる場所ではいいと思うんですね、思いっきり「3時間プロセス話するから、成果については話すなよ」という合意の下に話していただきたい。僕の好きな俳句で、「冷や奴 正しいことは もう言うな」っていうのがあるんです。俳名で五七さんという人の句なんですけど、うまいこといいますね。それもまた人間の真実なので、仕事以外の場で思う存分語っていただきたい(笑)