開店前から客が並び、店に入るまでに3時間
駐車場に入りきれない黒塗りの社用車も並んだ
いろいろ店を回って久信さんはひとつのことに気づいた。それは、料理を出す店がほとんど無かったことだ。
「これはやれると思った。僕が料理を作り、弟が蕎麦を打つ。これなら、兄弟でやる理があると思った」(久信さん)。
久信さんは惣菜や仕出しで料理経験があったから、開店までにさらに勉強をすればやれると考えたのだ。弟の敏行さんは、父親の饂飩店で手打ち饂飩の技術を身につけていたから、蕎麦打ちの習熟は早かった。
蕎麦と美味しい料理。これまでの蕎麦屋には無かったような空間造り。二人の考えが一致した。ある意味、自信満々で二人はスタートしたはずだった。
しかし、客はなかなか潜り戸から入ってきてはくれなかった。それまで400円だったせいろが、手打ち蕎麦屋になったとたん600円になり、天ぷらをつけると1500円になった。近所の客の足が遠のくは当たり前だった。開店してしばらくは我慢と思ったが、二人には長い時間が過ぎた。
「必ず客は来る、そう信じていましたが、やはり不安でした。でも、ちょうど3年目に転機が訪れたんです」(久信さん)。
その予兆はあった。遠方からの客が目立ち始めていた。蕎麦職人らしき人が店に来るようになり、業界人らしき人も偵察に来ていた。久信さんは、「坐忘」が注目されていると感じたという。
そんな折、新聞社が取材に訪れ、蕎麦と料理の美味しさが際立つ注目店として「坐忘」が紹介された。掲載されたその日から客が店に並び、駐車場に入れない黒塗りの社用車も並んだ。掲載の翌日には、開店前から客が並び始め、店に入るのに3時間も要したという。
連載第1回目で紹介した「流石 はなれ」の矢守さんも「坐忘」の蕎麦料理を味わって、これからは蕎麦屋も懐石の時代に入ると予感したというから、「坐忘」が現在の手打ち蕎麦屋のスタイルに大きな影響を与えていることは想像に難くない。