哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第3章を特別公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

副作用のない麻薬なら、どんどん使うべきか?

副作用のない麻薬があったら?

 前回記事『幸福を哲学すると「快楽」に行きつく!』の続きです。

「まず話の前提として、ベンサムが残した快楽計算の法則に従うなら、いわゆる麻薬の摂取は幸福ということにはならない。なぜなら、麻薬による快楽は、あくまで一過性のものであり継続せず、また、そのあとに依存症や副作用など大きな苦痛が必ず伴うからだ」

「つまり、麻薬で得られる快楽がプラス100だとしても、その副作用で発生する苦痛がマイナス200……差し引きすれば、結果的に幸福度はマイナス。幸福どころか不幸という結論が導かれる。だから、麻薬はたしかに一時的に快楽を生み出すものだが、功利主義の立場からすればむしろ不幸を生み出すもの、やってはいけない悪いものだと言うことができる」

「……でも、ということは、もしその麻薬に副作用がなかったら……」
「おお、それはさらによい質問だね。その場合は、快楽だけが増加し、苦痛がまったく発生しないのだから、功利主義的にはまったく問題ないということになる。いや、むしろ、積極的にその副作用のない麻薬を開発して、それをみんなに配ることが正義だとさえ言えるだろう」

「きっとベンサムに同じ質問をぶつけても、そう答えたんじゃないかな。その証拠に、ベンサムも同様に考えたのか、副作用のない麻薬、笑気ガスという、吸うと多幸感や陶酔感が得られるガスの研究を行っている」

「…………」
「ん? どうしたのかな、正義くん」

「……いや、さすがに麻薬の開発までやるのは行き過ぎじゃないかな、と」
「なぜ、そう思うのかな?」