本質的な課題の発見が イノベーションを生む
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インクジェットプリンターのシェア首位企業であり、独自開発のプリンターヘッド技術を持つセイコーエプソン。その技術を生み出し、かつて経営危機の淵にあった同社を救ったエンジニアが碓井稔氏だ。社長就任後11年。改めて技術と経営について、思いの丈を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

――現在のセイコーエプソンの主力製品である、マイクロピエゾ(電圧により収縮するピエゾ素子を使ってインクを飛ばす)インクジェットプリンターヘッドを発明し、「プリンターの父」の異名もお持ちです。ピエゾ関連の特許も当時から碓井さんの名前で幾つか出願されているとか。

 うん、今でもたまに特許使用料を受け取ってますよ。忘れた頃に振り込まれている(笑)。

――そもそも、この技術はどのようにして生み出されたのでしょう。

 エプソンは1985年にセイコーグループの生産子会社だった2社が統合して設立されましたが、当時の主力製品はインパクトドットプリンター(印刷ヘッドに並べたピンをインクリボンにたたき付けて用紙に印刷する方式)というものでした。

 ただ、この製品は、米ヒューレット・パッカード(HP)やキヤノンなどの競合他社が新たに出してきた、サーマルインクジェットプリンター(熱を加えて蒸気の力でインクを吹き付ける方式)とレーザープリンターに性能と価格で押され、非常に厳しい状況にありました。

 会社全体の経営が厳しくなる中、新しいプリンターヘッドを緊急に生み出さなければならないということで、90年にKH(緊急ヘッド)プロジェクトという全社横断プロジェクトが発足しました。そのプロジェクトを率いることになったのです。

――当時30代の課長で、80人ほどの全社組織をまとめることになったとか。

 というのも、それまでいろいろな方式のプリンターを手掛けてきた経験があったからです。シャープやカシオ計算機向けに出していた電卓用のプリンターや、キャプテンシステム(80年代にNTT〈日本電信電話〉がサービスを行っていた文字・画像情報をアナログ電話回線を利用して伝送するシステム)の出力装置とか。ソニーのビデオカメラ、デジタルマビカの映像をプリントするビデオプリンターなんかもやっていました。今でいう「スクリーンショット」ですね。当時は技術的にも非常に難しくてコストもかかり、普及には至りませんでしたが。