伝染病への対処は医学や感染症の専門家の領域にみえるが、ペスト流行以来、近代的な政治権力の統治の問題と深く関わる問題でもある。
中国発で「政治性」帯びる
情報統制や「忖度」の要素
政治思想史的に考えてみると、新型肺炎の問題は、最初に感染が確認されたのが中国だということもあって、日本を含む中国と関係の深い諸国では当初から「政治的」な様相を帯びていた。
武漢市周辺で原因不明の肺炎が流行しているとの報道がされたのは昨年12月で、中国当局やWHOが新型コロナウイルスが原因だと公式に確認したのは今年1月10日前後だった。
2002年のSARS禍のように、中国政府が「誤った対応」をしているせいで事態が悪化しているのではないか、事態は報道されているよりも深刻ではないか、との見方がネットを中心に広がった。また、それに伴って、日本政府が中国に「忖度」しているせいでやはり対応を誤っているのではないか、との臆測も広がった。
実際に、中国政府の対応はどう間違っていたのか。それは中国固有の事情なのか、日本などにも当てはまることなのか。
SARSのときのように中国政府が意図的に情報を出さなかった、という批判がある。
香港の民主化デモへの対応などから、一党独裁の中国では通常の先進国では考えられないような隠蔽体質があり、情報統制が行われているという印象を多くの人が持っていたことは確かだろう。
果たして実際、昨年末に新型ウイルスに関する警告を発信した医師がデマを流したとして当局に拘束されたことで、この問題でも政府が情報統制しようとしていることが部分的に裏付けられた。
1月26日に、武漢市の市長が感染拡大の責任は中央政府にあると取れる発言をし、その後、2月13日に湖北省と武漢市の党のトップが更迭されたことは、習近平体制のもとで中央政府の権力や党中央を中心にした規律がいかに強いかを改めて印象づけた。
それとともに、官僚たちの責任回避傾向のため、政府内部でも必要な情報が的確に共有されておらず、そのため各部門の隠蔽体質が増幅されたのではないかとも推測できる。