「石を投げれば慶應出身者に当たる」といわれる百貨店業界。超有力OBがトップに就いた不動産大手。ゼネコンを含め「慶應卒なら出世に有利」は本当なのか。特集『慶應三田会vs早稲田稲門会』(全16回)の最終回では、最新の人事動向と各業界の特徴を分析する。(ダイヤモンド編集部 岡田 悟)
若手社員は仕事もそこそこに総会の準備
取引先の“協賛”で盛り上がった三越三田会
「石を投げれば慶應に当たる」――。日本の大手企業に多くのOB・OGを送り込んでいる慶應義塾大学。今でこそ若手は少なくなったといわれるが、かつては百貨店業界もその典型だった。
「大卒の新入社員50人強のうち、半分以上は慶應大卒だったのではないか」と、1970年代に旧三越(現三越伊勢丹ホールディングス〈HD〉)に入社した男性は振り返る。「早稲田大卒は2人ぐらいだったんじゃないか」。
社内では「三越三田会」が組織され、東京・丸の内の東京会館で総会を開くことが恒例行事だった。ゲストとして呼ばれるのは、ピンクレディーやタモリといった、当時人気を博していた大物タレントばかり。くじ引きの景品として、ブランド品のハンドバッグや冷蔵庫などが並んだ。しかも景品は、取引先の慶應大OBから“協賛”として提供されていたのだという。当時の三越の取引先への強い影響力のなせる業だった。
若手の慶應大出身社員は総会の当日、仕事もそこそこに売り場を離れて準備に駆り出された。それが許されていたのは、「天皇」と呼ばれ絶大な権力を誇ったがクーデターで失脚した岡田茂氏をはじめとする歴代社長や、日本橋三越本店長など、同社の要職の多くを慶應大出身者が占めていたからだという。
こうした集まりは90年代のバブル崩壊とともに衰え、東京大学法学部卒の石塚邦雄氏が社長になった2005年ごろには活動自体が沙汰やみになったという。百貨店業界と三越三田会の凋落とともに、三越を志望する慶應大生も減った。
なぜかつての三越には、多くの慶應大生が入社したのか。