楠木建 一橋大学教授が「経営の王道がある。上場企業経営者にぜひ読んでもらいたい一冊だ」と絶賛、青井浩 丸井グループ社長が「頁をめくりながらしきりと頷いたり、思わず膝を打ったりしました」と激賞。刊行から2年が経っているにもかかわらず、いまだに経営者界隈で話題が尽きない本がある。『経営者・従業員・株主がみなで豊かになる 三位一体の経営』だ。
著者はアンダーセン・コンサルタント(現アクセンチュア)やコーポレート・ディレクションなど約20年にわたって経営コンサルタントを務めたのち、投資業界に転身し「みさき投資」を創業した中神康議氏。経営にも携わる「働く株主®」だからこそ語れる独自の経営理論が満載だ。2022年10月にも7刷重版が決まるなど、売上はいまだに衰えない。本書はどうして書かれたのか、本文の一部を特別に公開する。
経営者だけでなく、
従業員、株主も合わせて豊かになる
本書は、「投資家の思考と技術」を経営に取り込むことで、経営者、従業員、株主がみなで豊かになるための道筋を示す本です。少々風変わりな本ですが、この変わった切り口が実は有効なのではないかと思わせるに足る、二つの明るいエピソードから始めさせてください。
私はサーフィンを趣味としています。完全なる「下手の横好き」なのですが、毎週末せっせと海に通って波に遊んでもらっています。その日も、いつもの場所でプカプカ波待ちをしていました。そこに顔見知りのUさんという方がパドリングしてきてこんな話をしてくれました。
「中神さんさあ、俺もそろそろ退職だからさ、従業員持ち株会でずっと買わされてきた自社株がいくらになっているか見てみたのよ。700万ぐらいにはなってんのかなと思ってたら、なんと2000万になってたのよ!」
私は驚きつつも言いました。「Uさんね、それって大変なことですよ。サラリーマンが退職金以外で2000万円貯めるって、ほとんど不可能ですよ」。そしてこう畳みかけたのです。「それって、Uさんがいつも愚痴をこぼしていたO社長が、実は素晴らしい経営をしてきたってことですよね?」。
Uさんは、「そうなんだよ、そう認めるしかないよな」と言いながら、サクっと良い波をつかまえて彼方に行ってしまいました。
もう一つのエピソードは、もう少しきちんとした話です。かねて親しくしているピジョンの社長・会長を務められてきた大越昭夫さんが、私と呑むたびに、いつもこう言うのです。
「中神さんはさ、ほんとに生意気だったよね。大株主とはいえ、社長の俺に向かって、もっとこうしましょう、ここをこう変えたらもっと良い経営になりますよってさ。でもさ、俺、中神さんが言ったこと、全部やったよ。そしたらさ、俺、いつの間にかひと財産作れちゃったよ。いまや息子たちからも、結構尊敬されてるのよ」
ピジョンは私が設立した「みさき投資」の創業メンバーによる大成功投資例です。私たちは2000年代半ばからピジョンに投資を開始し、ほどなく大株主になりました。そして足しげく通い、海外成長計画や新しい収益性指標の導入などについて議論しながら、三代にわたる社長とお付き合いしてきました。
そんな長期の関係を築く中で、投資開始時は300億円程度だったピジョンの時価総額は、2020年現在、6000億円近くにまで上昇。大越さんが役員持ち株会で買っていた株式価値も劇的に増えました。当然、私たち投資家も大きなリターンを得ましたが、それだけではありません。従業員持ち株会でコツコツと株式を買っていた従業員のみなさんも、大きな資産を形成できたのです。いまでは「おかげさまで家が買えました」とか「配当だけで十分な生活ができるんです」と伝えてくれる退職者の方もたくさんいるそうです。
劇的に上がったのは、株式価値だけではありません。私たちが投資を開始したころ、ピジョンは、とある雑誌の「給料が低い会社リスト」にランクインしていました。しかし私たちが三代の社長と付き合い、時価総額が大きくなるころには、給料もグングン上がっていきました。かねてベンチマークにしていたそうそうたる企業の平均給与も超えることができたのです。
再現性のある経営構想で
「みなで豊かになる経営」を実現する
似たようなエピソードは、実はそこかしこで聞くことができます。別のある社長は「株主総会に行くとね、退職した清掃員のおばちゃんとか用務員のおじさんが、おかげさまで持っていた株が2000万円、3000万円になりましたって言ってくれるんですよ。経営者として最も嬉しい瞬間です」と話してくれたこともあります。
こういった話を聞くたびに、私の中で何かが湧き上がってきました。これらの身近なエピソード群は、何か重要なことを示唆しているのではないかと。
経営から少し距離を置いた投資家という立場から見ていると、経営の「伸びしろ」が岡目八目的に見えることがあります。そんなときに経営者が胸襟を開いて投資家を受け入れ、一緒になってその伸びしろに取り組むと、実際に経営は良くなります。経営が変わると会社の本質的価値が上がり、いつの間にか株価も上がっていきます。私たちのような投資家はもちろん、長いこと会社にコミットしてきた経営者や従業員のみなさん自身が、その成果を大きく享受できるのです。
立場は全然違うけれど、経営者と従業員、そして株主という三者が一体となって変革に取り組めば、みなで豊かになれるんだ……。
あちこちで見られるこんなエピソードを、もっと普遍的な経営構想に仕立て上げ、いろんな会社で実行してもらい、みなで豊かになることはできないものか──。これが、この『三位一体の経営』を書いてみようと思ったきっかけです。
日本では、金銭的なことに触れるのは少し品が悪いように思われがちです。しかし、長きにわたって会社に貢献してきた人々が、その長年のコミットメントや努力の成果を、金銭的にもしっかりと受け取れる道筋を確立するのは、決して悪くないことだと思うのです。
経営コンサルティング一筋から一転、
経験なしの投資業界へ
私は大学を卒業してから、経営コンサルティング業界で長年過ごしてきました。約20年間、クライアントの経営が少しでも良くなるように、経営者と一緒に汗をかいてきたつもりです。
経営者とコンサルタントが一体となって良い仕事ができたときには、会社は大きく変わります。そして会社が変わると会社の価値も上がり、それにつれて株価も大きく上がるという体験を何度もしてきました。売上高が1000億円もあるのに利益は20億円しか出ていなかった企業が150億円もの利益を出せるようになったり、株価が10倍になったりするクライアントもありました。
「会社が良くなれば株価も上がる」。これは私にとって、とても手触り感のある体験なのです。このシンプルなロジックが、約15年前に私の背中を大きく押してくれました。経験ゼロの人間が、投資業界へ転身したのです。
投資経験もなかった私が持っていたのは、「働く株主®」というコンセプトだけ。
自分が素晴らしいと思う会社・素晴らしいと思う経営者に投資させてもらい、株主として経営に関わり、汗をかく。株主として良い仕事ができれば会社が良くなり、投資リターンも上がるだろうという、(コンセプトと言えば格好いいですが)単なる仮説です。いまから考えれば冷や汗ものの転身ですし、若気の至りだったかもしれません。実際、業界の方からはずいぶん冷ややかな目で見られた気がします。
私が投資業界に飛び込んだ2005年前後は、いわゆる「物言う株主」が猛威を振るっていた時代でした。そういう株主は世間を騒がせてはいましたが、実際に高いリターンをたたき出していました。ですから、時流に乗って「物言う株主」を始めるのならまだしも、いかにもお人好しな「働く株主®」というコンセプトで経験ゼロの人間が参戦して何ができるの? という嘲笑を私が浴びたことは、無理のないことです。
しかし「良い経営を考える、良い経営のために汗をかく」ことしかやっていない人間に、他の選択肢はありません。自分の信じる道を進むしかなく、株式市場の荒波に漕ぎ出していったわけです。しかもその後は、リーマンショックや東日本大震災といった未曾有の市場環境。日本株の低迷も長きにわたり、海外投資家は見向きもしてくれない時代でもありました。
しかし、「無知」とは、時として強さを発揮するのかもしれません。私は市場で何が起きているかに頓着せず、一つひとつの投資先の経営に関わり、汗をかいていきました。するとおもしろいことに、この投資手法がかなり良いパフォーマンスを出し始めたのです。
リーマンショック下でも
投資先の株価は2倍に
自分が大好きな会社・大好きな経営者に投資し、「会社にとって何が良いことなのか」を一生懸命考えて提案を持っていく。経営者と議論することで会社や経営への理解が深まり、自信を持って長期・大型投資に踏み込む。経営者と投資家が真剣に知恵を出し合い、汗をかいていく……。そんなことを繰り返す中で、リーマンショックの年でも株価が2倍になった投資先や、全上場企業の年間株価上昇率ランキングで1位になる投資先が出てきたのです。
私はほんの10社程度にしか同時に投資しないスタイルをとっていますから、そういう投資先がいくつか出てきただけでも、驚くほど高いパフォーマンスが得られます。実際、ある世界的なファンド調査機関から「アジア・ベスト・ファンド賞」をもらったり、株式市場研究家の方からは「日本株式運用史上に輝く金字塔」とまで言われたりしたこともあります。
それはそれでもちろん嬉しいことなのですが、そんな個人的な喜び以上に、思ってもみなかったことが私の周りのそこかしこに見られるようになりました。それが冒頭の「投資家だけでなく、経営者自身や数多くの従業員のみなさんが、いつの間にかお金持ちになっていた」という事実です。これらのエピソードを普遍的で再現可能な経営構想に編集し提案することが、本書の執筆の目的なのです。
本書の内容を実践し、読者のみなさんが「みなで豊かになる経営」を実現させることを願ってやみません。