気持ちいい情報は大体間違いと思え

鴻上 でも、例えば、壁に、狼がいるぞみたいなことが書かれていたとします。それは、不利な情報なんだけど、ちゃんと脳は自分にとって悪い情報も見るでしょう?

中野 そう思うでしょう? でも、これ、とてもマジカルなところで、悪い情報を好むタイプの人もいるんです。映画なんかの終末モノを好んで見る人とか、「寝取られ」が快感という一見、変態的な人とか。悪い情報をあらかじめ知っておくことで、限度を推定できるので安心できるという。

 一方で、悪いことを思うと、悪いことが起こるんじゃないかっていう信仰もあるんですよ。言霊を非常に気にして、いちいち言いかえるような。そういう思考の枠組みの集団では都合の悪いことは無かったことにする。場合によってはそういうことが国家レベルで起きることがある。「いじめなし」なんて典型例かもしれません。もちろん、本当にないという学校もあるんでしょうが、「いじめは、あってはならない、だから、なかったことにしよう」になってしまうこともある。無視されるんです。「なかったことにしよう」となると、あとはやり放題という。

 本来、あってはならないってことは、もうどんな手を使ってでも、しらみつぶしに探さなきゃいけないはずです。しかし、悪い情報はなかったことにして目をつぶってしまうということはよく起きるんです。

鴻上 それはわかります。でも、ある言葉や事実に接した時に、なるべく自分にとって都合のいい解釈ではなくて、脳が目をつぶらないで見る方法はないんですかね?

 例えば、同じ世間の同じ人たちとばっかり話をしてると、どんどん現実が見えなくなってくるじゃないですか。いわゆるネットでも、自分と似たような意見の人ばっかり読んでいると、完全に固定化された視点になってしまう。

 でもね、例えば僕が行ってるうどん屋さんのマスターは、基本的にはリベラルな意見の人なんだけど、Twitterで、右の人も左の人も両方、割といろんな人をフォローしてるんです。それで、僕に「鴻上さんね、面白いんだよね。やっぱりあいつらの話を聞いてるとね、いろんなこと言ってんだよね」みたいなことを教えてくれるんです。あえて違う人の意見もちゃんとフォローして、それを割と楽しんでるんですよね。そういう、ある特定の言説というか、言葉に浸りすぎない脳科学的な対策はないもんなんですかね。

中野 そうですね、自分で気を付けられる方法ですよね。それは、本当に難しいですよ。「気持ちいい情報は大体間違い」って思っておくとかですかね。