立憲と共産の共闘阻止なら
何でもありの京都市長選

 前述の通り、元民主党参議院議員で鳩山内閣の官房副長官を務めた松井氏を、自民党までがかつぎ、しかも、「元内閣副官房長官の松井孝治です」と、経歴を正面に打ち出した運動を展開した。

 ある自民党有力者は「(松井氏について)『民主党に嫌気がさして政治家を辞めて慶応大学教授だったのだから』と説明した。だが『新しい公共』という鳩山内閣の看板政策を掲げ、辻元清美氏が『私の親友』といい、菅直人氏の官房副長官だった福山哲郎氏と肩を並べて遊説していたのだから、違和感は満載だった」という。

 それでも、立憲民主党が共産党と組むことを阻止するためなら「何でもあり」だった。

 京都では「誰かが嫌がることをすると共産党につけ込まれる」として、改革や大胆な挑戦が阻まれ、総花的な政策がとられてきた。府も市も、京都の行政の難しさを分かりすぎていて、消極的だった。

 京都市長は、桝本氏・門川氏と2代続けて京都市教育委員会職員出身者が占め、この分野で意欲的な成果も上げている。だが、こどもの学校時代を、大津市(滋賀県)と京都市で過ごした私の経験からすれば、大津市の方が子育て環境はだいぶよかった。

 京都市は優良公共用地を大学に優先的に提供したこともあり、私大の文科系学部の学生は多いが、それが経済発展になっているかは疑問だ。21世紀になって京都でインバウンドが拡大しており、それに人材を供給した功績はあるが、はたして接客業に偏ったアルバイト経験が学生にとってよいかも疑問だし、接客業での学生の不祥事や巻き込まれた事件も多い。

 空港はないし、リニア新幹線も絶望的だ。オーバーツーリズムが問題になっているのは無策のつけである。新型コロナ渦の3年間は思い切った手を打つチャンスだったが、無為に過ごした。

維新が推薦予定だった村山氏は
トップを走っていたが挫折

 一方の村山氏は、2003年に京都市会議員になってから、財政危機やオーバーツーリズムを早くから予言。2010年には京都党という地域政党を創立。また、これまでに2度、市長選挙に挑戦しており、今回は日本維新の会が支援に回った。

 事前の世論調査では、村山氏が松井氏を抑えてトップに立ち、共産党が支援する福山氏を3位に蹴落とす勢いだった。そのため、村山対松井のしっかりとした政策を掲げての選挙戦になり、これで京都は「相乗り対共産」という不毛の戦いから脱却できるはずだった。