蜷川知事が7期務めた後は、保守系の林田悠紀夫氏(1982~82年)が自民・社公民・共産の三つ巴を制し、2期目からは保革相乗りとなり、荒巻禎一(1986~2002年)、山田啓二氏(2002~18年)、西脇隆俊氏(2018年~)が共産系候補を破ってきた。

 市民から非常に愛された高山のあと、自民系の井上清一氏(1966~67年)が、社会・共産系候補との三つ巴を制したが、任期途中で死亡し、社共が推薦する富井清氏(1967~71年)が1期、社共の推す船橋求己氏(1971~81年)と続いたが、船橋は2期目からは自民から共産までのオール与党となって、五色豆などといわれた。

 今川正彦氏は(1981~89年)も最初はオール与党だったが、2期目には共産党抜きとなり、田邊朋之氏(1989~96年)を経て、桝本頼兼氏(1996~2008年)、和服姿でおなじみの門川大作氏(2008~)と非共産相乗り候補が共産系を破って選出されてきた。

 ただし、相乗り市長は、再選以降は強いのだが、初当選時は常に接戦で、田邊氏、桝本氏、門川氏の3人とも共産系候補との差は得票総数の1%未満で、とくに、田邊氏初当選のときは、わずか321票差、得票率で0.08%差だった。

 それに比べれば、今回の松井氏と福山氏の1万6251票、3.5%差は、有力保守系が3人も立ったなかでは、それなりの差で「共産党は京都の首長選挙で勝てる最後のチャンスを逃した」のだ。

 なぜ共産党がこれほど京都で強いのかだが、一つには、昭和30年代への郷愁だと思う。京都は日本の大都市のなかで例外的に戦災を免れたので、戦前の都市インフラがそのまま残った。しかも、疎開のために御池通、五条通などを拡幅したことも財産となり、国内の他都市より圧倒的に住みやすかったし、東京五輪での観光客対策を口実に、当初の予定に無かった東海道新幹線のひかり停車で利便性も向上した。

 共産党の主張は、その時代への郷愁を上手に利用して、伝統的な町衆や知識人の支持を獲得してきた。

 さらに、蜷川府政28年間に獲得した権益を握り続けている。全国レベルでは「過激な左派」と見なされている人が、京都ではけっこう名士だったりするし、荒巻知事や田邊市長は共産党の調査能力の高さもあって、正規の手続きを経たものを不正支出とされ億単位の賠償義務を負わされ、気の毒だと同情する人も多い。

 ただ、共産党の力は確実に落ちているし、最近は「近代政党とは言い難い個人独裁的党運営」と意見を発表した地元有力党員の松竹伸幸氏や鈴木元氏を除名した事件もあって、組織ががたついていた。今回の選挙も、自民党などが中央からの応援を控える中で、各地からの応援が目立ったことで、地元民の印象はあまりよくなかった。