八坂神社祇園祭は八坂神社の神事

山鉾巡行と並ぶらくたび「三つのお勧め行事」

 「らくたび京町家」(中京区泉正寺町)は、室町通の呉服商の番頭さんが顧客をもてなすために建てた町家です。ここに移る前は、四条西洞院の「四条京町家」にオフィスを構えていました。その時のご縁で、2010年から毎年、山鉾の一つ「郭巨山(かっきょやま)」の保存会にご奉仕しています。

 町内の皆さまや、保存会のメンバーが手分けしてちまきにお札を添えて袋に入れる「厄除けちまき」づくりを行ったり、郭巨山の会所前で厄除けちまきや授与品をお渡ししたり。らくたび代表の若村は、京都市役所のくじ取り式に参加したり、裃(かみしも)を身に着けて巡行に参列したりするなど、祇園祭と深く関わってきました。

 時代とともに、祇園祭を支える山鉾町も人の姿も様変わりしています。職住一体が基本スタイルの商家の町家に対し、マンションはサラリーマン家庭が中心。不足しがちな山や鉾を曳(ひ)く担い手に外国人や学生を受け入れたり、改修のためにクラウドファンディングを取り入れたり。祇園祭に憧れて山鉾町へ移住を決意する人もいて、代々の住人以外からの協力も得ながら、未来へ受け継がれていきます。

 祇園祭では、31日の八坂神社の摂社「疫(えき)神社」での夏越祓で幕を閉じるまで、山鉾巡行以外にもさまざまな行事が行われます。この中で臨場感があり、らくたびが自信をもってお勧めできるのが、山鉾の「曳き初め(ひきぞめ)」「宵山」「神幸祭と還幸祭」の三つです。

曳き初め」は、祭りの関係者だけではなく、一部では一般の人々も参加し、一年間の無病息災を願えるとあって人気を呼んでいます。前祭では10日から、後祭では18日から、山鉾町の各町内に山と鉾が立ち始めます。12日には長刀鉾、函谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾、13日には放下鉾、船鉾、岩戸山、蟷螂山で、本番さながらに山や鉾を試し曳きます。詳しくは各山鉾町の行事日程一覧をご覧ください。

 山鉾が立ちそろうと、山鉾巡行の前夜祭となる「宵山」(前祭14~16日、後祭21~23日)へと移ろいます。日が暮れ、深まっていく藍色の空に駒形提灯が浮かぶ光景は、うっとりするほど幻想的。着物を扱う呉服商が軒を連ねた室町通や新町通を中心に、虫干しを兼ねて家宝の屏風や書画、美術工芸品などを展示・披露する「屏風祭」(有料の場合も)など、祇園祭を支えてきた町衆の心意気と財力をうかがわせる美術品の華やかさは必見です。

 絢爛(けんらん)豪華な山鉾巡行が祇園祭のメインイベントと捉えられがちですが、神事の中心となるのは、八坂神社から鴨川を越えて四条御旅所(四条寺町)まで神輿が渡御する「神幸祭」(17日)と、御旅所で1週間お祀(まつ)りされた後、神輿を八坂神社へお還しする「還幸祭」(24日)です。山鉾巡行は、神幸祭、還幸祭で神様がお通りになる道を、おはやしや絢爛豪華な装飾品、光る鉾で悪い疫病をもたらす疫神を祓(はら)い清める役割を持つのです。

 雅な風情の山鉾巡行に対し、神幸祭や還幸祭は、躍動感あふれるエキサイティングなお祭り。中御座神輿に主祭神である素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、東御座神輿に素戔嗚尊の奥様である櫛稲田姫命、西御座神輿にその子である八柱御子神をお祀りした3基の神輿がそれぞれ異なるルートで渡御します。担ぎ手たちが「ホイットー、ホイットー」の掛け声で神輿を担ぐ姿は迫力満点。

 ちなみに、3基の神輿の見分け方は、神輿の形状と担ぎ手の法被のデザインがポイント。素戔嗚尊の中御座神輿は六角形で屋根の上に鳳凰、法被の背中には三角形のようなモチーフが描かれています。東御座神輿は屋根の上に擬宝珠をのせた四角形で、法被が「若」、西御座神輿は鳳凰をのせた八角形で、法被が「錦」です。

神泉苑平安時代初期には八坂神社(祇園社)と神泉苑で祭が行われた。現在は四条通に面して八坂神社からの神輿が鎮座する御旅所が設けられている