つまり、現代社会では基本的に国家が共同防衛の単位なのである。国家だけが軍隊と警察機構を完備し、国土内のすべての人々からその費用としての税金を強制的に徴収するだけの正当な権力を保持している。

 地方自治体はその単位として同様の権限を有している。アメリカのように州が軍をもっている場合もあるが、中央政府と地方政府は対等であるとはいえ、軍隊の統帥権は基本的に国家に属している。しかし、地方自治体もその権限の範囲内で共同防衛を担当するだけの権力を有している。

全戸加入の実現を夢見つつ
全住民のために活動する

 共同防衛といっても、安全の保障だけがその機能ではない。災害時の救援や復興、経済危機にともなう混乱や暴動を防ぐために、景気対策や失業対策、福祉政策などありとあらゆることを行っている。健康保険や年金制度などもそうだし、少子高齢化にともなう将来不安への対策も必要である。

 つまり、共同防衛という機能は、いわば公共的な活動の基本原理であり、ある領域内に存在するすべての人々にとって必要なことである。それゆえ、全員の関与を強制しなければならない。

 共同防衛という機能を設定した瞬間に、空間的な領域が画定され(排他的地域独占)、その内部での人々の何らかの関与が強制され(全戸加入)、ありとあらゆることを行う必要(包括的機能)が出てくる。町内会を地方自治体と考えれば、すべての疑問は氷解する。

 ただ、町内会は国家や地方自治体とは異なり、全戸加入を強制できない民間の任意団体にすぎない。だから、町内会はできれば全戸加入を実現したいと考えて、全戸加入を原則とした活動、つまりすべての住民にとって必要と思われる、あらゆる活動を行う地域住民組織なのである。地域共同管理もその一部である。また、共同防衛という同じ目的をもっているがゆえに、町内会はつねに行政に積極的に協力してきた(末端事務補完)のである。

 それでは、なぜそんなふしぎな(「殊勝な」というべきかもしれない)民間団体が成立したのか。それは歴史的な事情としか言いようがない。筆者はこれからその謎解きに挑戦していきたい。