【83】1995年
いまだに傷は癒えない
阪神・淡路大震災の衝撃

 1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源にマグニチュード7.3、最大震度7の大地震が発生した。約24万棟の建物が全壊または半壊し、大規模火災などで死者は6434人、負傷者は4万3792人に及んだ。また、阪神高速道路の橋脚が600メートル以上にわたって横倒しになるなど、道路や鉄道、港湾施設も大きな被害を受け、交通網の寸断によって物流が停滞した。

 阪神・淡路大震災では、大都市における直下型地震による複合災害の深刻さを目の当たりにすることとなった。地震発生から最短の発行となった95年1月28日号では、従業員の安否状況や工場などの建物被害の掌握に追われ、その一方で被災者の援助に向かうなど被災直後の企業群の動向を4ページでレポートしている。また、復旧・復興の見通しについてもテーマに掲げている。

1995年1月28日号「神戸を一面焦土と化した大都市直下型大震災の衝撃」1995年1月28日号「神戸を一面焦土と化した大都市直下型大震災の衝撃」
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『復旧工事の見通しについて、ある大手ゼネコン幹部は、「3カ月がメドと言われているようだが、電車や自動車を走らせるのにそれだけかかるということ。インフラを補強して元どおりにするには1~2年かかる。ロサンゼルス地震(94年1月)の復旧工事は1年以上かかってまだ終わっていない。基本設計からやり直すと10~20年のスパンで考えなければならない」と言う。
 日本総合研究所・佐久田昌治技術情報部長は、「ガレキの山の処理がまず難題だ。次に阪神高速道路の復旧を最優先させても1~2年はかかり、住宅が整備されるまで5年は必要だ」と見る。
 では、日本経済への影響はどう判断すべきか。生産設備への被害、物流の混乱、縮む個人消費――富士総研の高木参与・研究主幹は、「関西経済はGDPの17%を占め、この1年を取れば景気にマイナスだ。だが、中期的には数兆円の復興需要がプラスに働く。悲観することはない」と言う。エコノミストと経営者の多くは、今回の大震災が景気の腰を折り、再び不況に突入する切っ掛けになることはないと見ている。
(中略)
 気がかりは、政府の対応の遅さだ。補正予算の策定、政府系金融による優遇措置などを打ち出したが、復興計画のグランドデザインを早期に詰める必要がある。インフラの回復、住宅対策、被害を被った企業への優遇策など、財政支出と政府系金融機関による無利子・低利融資をどれほど、何を対象に行うかを早期にアナウンスすることが、人々と産業界に安心をもたらす最良の方法だ』

 ライフラインについて、電気は約1週間、電話は約2週間、ガス・水道は約3カ月で復旧し、鉄道や道路も3カ月~1年半で復旧することができた。復興については、神戸、西宮、宝塚3市の6地区で、総事業費計約4890億円をかけた再開発が計画され、2005年までにおおむね再開発事業は完了したが、最後に残った神戸市長田区の事業は19年にようやく終了のめどが立った。

 兵庫県によると、県内で投入された復旧・復興関連費用は総額16兆3000億円。国と被災自治体(兵庫県と同県内の被災12市)で、それぞれ約8兆円ずつ負担した。被災12市が震災関連で発行した地方債の総額は計1兆8145億円だが、全自治体が完済し終わるには、さらに10年以上を要する見通しだ。震災発生から29年が過ぎたが、傷痕はいまだすべて癒えてはいない。