【82】1994年
デフレへの扉を開いた
「価格破壊」の大流行

 金融事業者や不動産業者に比べ、一般の人々のバブル崩壊に対する深刻さは遅れてやってきた。それでも1994年に入ると、ぜいたくを美徳とするような雰囲気は鳴りを潜める。生活自体がつつましくなり、より安いものを求める消費スタイルと、それに応える流通業者による「価格破壊」が流行語となった。

 94年6月25日号では「価格破壊の大音響」という特集が組まれている。記事では、全国紙の「価格破壊」という言葉を含む記事数を調べている。92年まで年間10件以内程度の登場頻度だったが、93年に一挙に77件に増え、94年に入ると5カ月間で117件と爆発的に増加しているのだという。行政指導や業界の慣行を無視したディスカウンターが脚光を浴び、大手小売企業も安売り競争を繰り広げた。

 ビールなど代表的な寡占価格だった商品分野でも、変化が起きる。93年にはダイエーが海外から直輸入したビールをプライベートブランドで格安販売したことをきっかけに、国内ビールメーカーの価格破壊競争が勃発。酒税上はビールに分類されない「発泡酒」の開発などにいそしむようになった。

1994年6月25日号「価格破壊の大音響」1994年6月25日号「価格破壊の大音響」
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『日本経済には「高価格システム」がビルトインされている。1990年代に入ってから世界市場(市場経済システム)に本格的な参入を果たした東アジアや東欧のコストが低いのは当然だが、日本のコストは欧米先進国に対してもはるかに高い。現実の為替レートと卸売物価ベースの購買力平価(1ドル=約130円)に大幅な差があるため、ますます内外価格差が開いている面もある。
 羽田内閣は5月に「公共料金引き上げの年内凍結」を決定し、「物価を5年で20~30%引き下げる実質所得倍増計画」を発表した。後者は官僚の反対で「内外価格差の縮小計画」に後退したが、経済企画庁を中心に特殊法人のあり方を含む公共料金システムの見直し作業などに入っている。政府統制システムを官僚自身が見直すことの限界はあるが、日本的高コスト経済システムが崩壊し、新しい均衡に向かうことは、あらがい難い歴史の流れでもあろう。
 日本が欧米キャッチアップを目標とする官民一体となった産業育成に邁進していた敗戦後から80年代までは、成長率の上昇によって高コストの問題は小さかった。むしろ、日本的システムは80年代に入ると「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と礼賛されていたほどである。
 しかし、キャッチアップ段階は終了し、今後は「オリジナリティーの山を登る」(中谷巌・一橋大学教授)ことになった。必然的に成長率は低くなる。企業はコストを下げなければならない。消費者は低価格商品への選好を強めている』

 生活者にとって、物価の低下は決して悪いことではない。しかし、物価下落による企業業績の悪化から賃金が減少し、それが消費の減退につながり、さらに値下げが広がり物価が下落するという悪循環、すなわち「デフレスパイラル」に陥っていく危険がある。94年の価格破壊ブームは、まさにその“とば口”だった。