【84】1996年
税金投入で住専問題が決着
不良債権処理が本格化へ

 1996年1月22日から6月19日まで開かれた通常国会は、住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理のために6850億円の公的資金の投入をめぐって紛糾し、「住専国会」と呼ばれた。前述した農林系金融機関のみを優遇する処理方法をめぐって、住専の母体行は強硬姿勢を隠さなかった。また、「放漫経営のツケを国民に回すのか」という世論の反発も大きかったが、最後は政府が押し切った。

 その過程を徹底的に批判してきた本誌だが、96年6月15日号では、住専問題に決着が付くことで、金融機関も監督官庁も先送りしてきた不良債権を開示し、速やかにその処理に乗り出すべきであると述べている。

1996年6月15日号「ノンバンク・第二地銀」破綻! 次にくる金融激震」1996年6月15日号「ノンバンク・第二地銀」破綻! 次にくる金融激震」
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『ある住宅金融専門会社(住専)の母体行の会長がつぶやいた。
「何らかの方法で追加負担をしなければならなくなってしまった」
 5月30日、竹下登元首相から巽外夫住友銀行会長に電話が入った。状況は銀行が思っている以上に厳しい、そろそろ矛をおさめるときではないか――電話の主の意向を、巽会長は他の大手銀行の会長に伝えた。
 国会の終盤に入って、政治の金融界への風当たりは陰に陽に激しさを増した。与党、大蔵省に隠然たる勢力を持つ自民党長老からの圧力は、ダメ押しになった。
 終幕である。限りない疑問と問題点を残して、住専問題は第二段階に移る。住専7社の住専処理機構への営業権譲渡、そして住専処理機構による債権回収の本格化である。
 不動産担保価格の下落、短期賃借権による担保物件の合法的占拠、債務者の資産隠匿――住専処理機構による債権回収の難しさは、さまざまに指摘されてきた。最終損失額は4兆円にも上るといわれる。
 だが、だからこそ――政府答弁を信じるなら――債権回収は本格化する。任意売却を急ぎ、貸金返還訴訟、競売申請、さらには破産申請といった法的手段を使う。悪質な債務者には、警察、検察、国税が摘発に乗り出す。
 ただし、それは次なる金融危機の引き金をひきかねない。住専の債権回収の本格化は、100兆円ともいわれる日本の不良債権を白日のもとにさらけ出す』

 不良債権処理の過程で経営危機に陥る金融機関が出ることは明白であり、次なる金融危機の引き金となりかねないと本誌は危惧している。実際、95年7月にはコスモ信用組合、8月に木津信用組合、第二地銀最大手の兵庫銀行が相次いで破綻。96年に入ると3月に太平洋銀行、11月に阪和銀行が経営破綻した。

「護送船団方式」と呼ばれた、大蔵省による金融機関の保護政策はすでに限界に達しており、「銀行はつぶれない、つぶさない」という神話は崩壊を迎えたのである。