【87】1999年
“ビットバレー”に集まる若者
ネット起業の熱狂と凋落
バブル時代の負の遺産処理に金融機関をはじめ多くの日本企業が苦しむ中、新しい産業の胎動(たいどう)も始まっていた。1995年ごろからインターネットが企業活動の中で定着し始め、ネット関連産業が勃興した。
「ダイヤモンド」でも90年代半ばには「大企業を脅かす マルチメディア起業革命」(95年9月9日号)、「過熱 インターネットの真実」(96年1月27日号)、「この大変化をだれも知らない マルチメディア超バトル」(96年10月5日号)といった、50ページをゆうに超える巨弾特集を連発している。
99年10月16日号の特集「インターネット大爆発」は、ネット先進国の米国取材も交えた64ページに及ぶ大特集だ。7章立ての構成のうち、第3章を「爆発寸前のインターネットベンチャー」と題し、ネット起業ブームの実情を伝えている。
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この「ビットバレーの会」を主催しているのは20代の若者からなる団体だ。「この会がきっかけになり、情報交換や交友関係が広がり、そこからいずれは事業提携などの話も増えるだろう」と、リーダー役を務める松山太河氏は熱っぽく語る。
「普段は会わない人とも情報交換ができる」と毎回参加する人も多い。参加メンバーには金融関係者をはじめ、大手家電、通信会社などの若手社員も目に付く。大手投資銀行やコンサルタント会社などの外国人も、あちらこちらで起業家たちの話に真剣に耳を傾けている。
「ビットバレーの動きには関心をもっている。現在、若手社員に現状を探らせているところだ」(秋草直之・富士通社長)と、大手企業経営者も関心を示すようになった。
この1~2年のあいだ渋谷を中心にいくつものインターネット関連ベンチャー企業が相次いで設立された。そこで今年2月末、ベンチャー企業経営者ら10人弱が集まり、情報交換の場として同協会を発足。米国・サンノゼのシリコンバレーにちなみ、渋谷(BITTER VALLEY:渋い・谷)とビット(デジタルデータの量を表す単位)をもじって同会を「ビットバレー・アソシエーション」と命名した。会員数はすでに1200人超にものぼっている』
楽天(97年)、サイバーエージェント(98年)やディー・エヌ・エー(99年)などのネット企業が次々に創業したのがこの頃だ。東京証券取引所のマザーズ、大阪証券取引所のヘラクレス、名古屋証券取引所のセントレックスといった新興企業向けの市場が続々と創設され、日本証券業協会が運営するJASDAQ市場(店頭登録市場)も第2号基準を設け、新興の赤字企業にも門戸を開放した。「史上最年少上場」や「設立◯年でのスピード上場」といったうたい文句が躍り、多くのネット関連企業の株価は上昇一途の様相を見せた。一種の“バブル”である。
しかし2000年3月、同じくバブルの状況にあった米国NASDAQ市場でネット関連株が急落したことで、熱狂は急速に冷めていく。実際、多くのネット企業の収益モデルやビジネスの持続可能性が不明確であり、中には不正会計が発覚するケースもあった。バブルははじけ、ビットバレーの交流会も2000年2月を最後に行われなくなった。
とはいえ、インターネットが社会経済に多大な影響を与えたことは事実である。ネットバブル崩壊を乗り越えた新興企業群は、後に日本経済を牽引(けんいん)する存在へと成長していく。