97年12月6日号「山一倒産の隠された真実」では、巨額の簿外債務がいつどこで生まれ、歴代経営者がどのように隠蔽(いんぺい)してきたのか、旧経営陣への取材をもとにあぶり出している。

1997年12月6日号「山一倒産の隠された真実」1997年12月6日号「山一倒産の隠された真実」
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『実態を自ら公表し、損失処理することは一度も考えられなかったのだろうか。元首脳が重い口を開き、新事実を打ち明けた。
「この数年間は自己取引でも多額の含み損を抱えていた。そこに飛ばしの損失を加えて処理すれば債務超過で取り付けが起きて、倒産が確実だった。とても決断できなかった」。
 実質債務超過――その内容はこうである。飛ばしの総額は2兆円以上に達した。5年ほど前の含み損合計は3600億円、うち米国非上場債分が2000億円、国内に沈めた分が1600億円あった。それに、自己取引の為替差損600億円、山一ファイナンスの損失1500億円とその他の含み損を加えると、当時の純資産6000億円を超えたのだ。
 驚くべき真実で、この5年間、粉飾決算に加えて、違法配当が続いたことになり、特別背任の疑義がある。飛ばしは、利回り保証と損失補填の疑いも強く、証券取引法、商法違反の可能性が極めて高い。
 旧経営陣の責任とともに、大蔵省の検査体制の不備も厳しく問われるだろう。
 隠蔽を強く指示し続けたのは、行平次雄会長だった。自らの違法性は十分に認識していただろうし、株価が回復すればなんの問題もなくなるという期待にすがったらしい。
 行平会長は権勢を揮(ふる)い続けた。今年3月、在任5年を過ぎた三木淳夫社長に代えて、三木社長と同期の副社長を昇格させようと動きもした。それはならなかったが、社長、副社長らの首脳陣を残したまま、専務、常務など若い役員11人を退任させた。経営改革を主張する煙たい役員が含まれていた。
 三木社長らは老人支配を跳ね返す力がなく、また、4大証券のなかで図抜けて収益構造が弱いにもかかわらず危機感なく、積極策も大胆なリストラ策も打ち出さなかった。窮地でもなお何も決められない経営陣の無気力は、長年の山一の体質である』

 山一証券の破綻後、金融機関に対する信用は失墜。銀行株は軒並みストップ安となった。また、ゼネコンをはじめとする銀行の支援なしには存続が危うくなっていた問題企業の株価も著しく崩落した。

 景気失速、株価下落は、銀行の不良債権処理の余力をそぎ落とし、銀行は自己資本比率を向上させるために貸出企業からの回収を加速させる。企業に対する「貸し渋り・貸し剥がし」といった現象が社会問題になった。景気悪化のなか資金繰りに窮し、倒産の憂き目を見る企業も続出。それがさらに景気を悪化させ株価を下げるという負の循環に、日本経済は陥っていったのである。