【88】2000年
百貨店そごうが倒産
不透明処理を嫌った世論
2000年夏、大手百貨店「そごう」の行く末に、全国民の注目が集まった。かつて売上高日本一まで上り詰めたそごうは、無謀な超拡大路線を突っ走った結果、1兆7000億円を超える借金を抱え、金利すら払えない状況にあった。再建をめぐっては、取引銀行による合計6390億円の債権放棄、つまり借金の棒引きで一度はまとまりかけていた。倒産させるより、借金を棒引きして再出発させるほうが取引銀行としては被害が小さいと判断したわけだ。
ところが、サブメインバンクだった新生銀行(旧・日本長期信用銀行:長銀)がこれを拒否したことで事態がややこしくなる。
1998年に経営破綻して国有化されていた長銀は、米投資ファンド「リップルウッド」に売却され、新生銀行として生まれ変わっていた。この際にリップルウッドは、新生銀行に引き継いだ債権に焦げ付きが生じたら、売り主である国(預金保険機構)が買い戻すという特約を結んでいた。新生銀行にしてみれば、国が埋め合わせてくれる債権をわざわざ放棄する理由がない。
その結果、約2000億円の債権が預金保険機構に譲渡され、そのうち970億円を放棄する計画が示された。消えるのは国民の税金である。「一私企業の救済に税金を投入することは許されない」との批判が巻き起こるのは当然だろう。国会も巻き込んだ大論争の末、自民党幹部からの働きかけもあり、そごうは自主再建計画を断念し、2000年7月12日、民事再生法申請という実質的な倒産の道を選ぶことになった。
しかし、この事態と構造を正確に把握していた人は少なかったのではないだろうか。本来の「税金の無駄遣いは許さない」という立場からいえば、債権放棄を受け入れたほうがロスは少なくてすんだ。970億円の借金棒引きで延命できたかもしれないのに対し、倒産させれば借金全額とはいわないまでも1500億円は回収不能となる公算が大きいからだ。
もっとも、2000年7月22日号「そごうが民事再生法申請 不透明処理を嫌った世論」では、そんな経済合理性などどうでもいいくらい、世論は負の遺産処理におけるモラルハザード(倫理感の喪失)に怒りを覚えているのだと指摘する。
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だが、一言でいえば、そうした経済合理性などどうでもいいほど、国民は倦(う)んでいた。うんざりしていたのである。バブル時代の負の遺産処理は、もう10年に及ぶ。巨額の損失処理が始まったのは96年の住専問題以降である。
その住専は、公的資金が投入されながら、金融システムへの影響を最小限に抑えるという大命題を掲げ、私的整理を行った。国民には、大蔵省の行政責任、住専に貸し込んだ金融機関の貸し手責任、莫大な借金をした借り手の責任の追及があいまいに見え、腑に落ちなかった。ここが源流である。
以後、巨額の損失を抱えた金融機関やゼネコンなどの民間企業は、中小を除いて、国有化や債権放棄という私的整理による処理が続いた。
放漫経営で行き詰まった企業が市場から一度退出することもなく、経営者の責任追及もあいまいなままに再生の道筋をつけてもらう。必死に健全経営に努力してきた企業や力尽きて倒産した企業には、不公平感や無力感が募る。
この5年間は、その繰り返しだった。モラルハザード(倫理感の喪失)と不満が入り交じって高まり、今回は税金投入への怒りと合体して、ピークに達したのである』
バブルの清算が本格化し始めた95年以降の5年間で、大手11行が処理した不良債権総額は31兆円にのぼる。それでも、取引先の連鎖倒産などが懸念され、つぶそうにもつぶせない大口債務企業の処理はまだまだ残っていた。不良債権処理を先送りする銀行への世論の風当たりも、日増しに強まっていった。