住友化学が8月にサウジアラビアの国有石油会社、サウジアラムコとの合弁企業であるペトロ・ラービグの再建案を発表した。保有株式の一部をサウジアラムコに売却する。ラービグは約2兆円もの総事業費を投じながらも、石油化学市況の低迷で業績が悪化。住友化学が2024年3月期に過去最大の最終赤字に陥る一因ともなった問題案件である。ラービグは後に経団連会長も務めた故米倉弘昌氏が社長在任中に推し進めたプロジェクトで、合弁設立から約20年で大きな方針転換となった。17年前の「週刊ダイヤモンド」2007年8月11・18日号では、「総投資額1兆円超!社運を賭けた中東ラービグ計画の凄みと死角」と題し、ラービグ事業に乗り出した当時の住友化学の経営についてレポートしていた。特集『化学サバイバル!』の#4では、当時の記事を再掲載。ラービグ計画を推進した米倉氏のインタビューも抜粋する。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
社運を賭ける巨大プロジェクトに参画
三井化学との破談直後に届いたレター
「第二の住友化学を創る」。住友化学のトップマネジメントが「ラービグ計画」に寄せる期待の大きさは、米倉弘昌社長が社員に向けて発するこのひと言に凝縮されている。
世界最大の原油産出企業サウジアラムコ(サウジアラビアの国有会社)と折半出資で合弁会社を設立。サウジアラビア第2の都市ジッダから北に160キロメートルほどの町、ラービグに石油精製と石油化学が一体化した統合コンプレックス(コンビナート)を建設する。その規模たるやあらゆる面で桁違いである。
プロジェクトに投じられる金額は、なんと98億ドル(約1兆1600億円)。中国、パキスタンなど、大半が海外から集められる建設作業員はピーク時には3万5000人に達し、2008年6月の完成時のパイプの長さは地球半周に相当する2万キロメートルにもなる。そこから生産される中間原料のエチレンは、年間約130万トンで、住友化学の国内生産能力約60万トン(京葉エチレン分を含む)の2倍を優に超える。商業運転開始は08年10月を目指す。
このラービグ計画は、実は、03年3月に三井化学との経営統合計画が消滅したことで生まれた“けがの功名”ともいえるプロジェクトだ。
ラービグ計画が浮上する以前の01年、住友化学は10年後を見据え“あるべき姿”を検討した。その結果「ITとライフサイエンス(農薬や医薬品)重視という将来の方向性が定まった」(芳野寿之・技術・経営企画室部長)。高収益の農薬、医薬品や伸びてきた情報電子化学など、先端分野で成長していくことに狙いを定めたのだ。
一方、強化分野から漏れていた石油化学事業は厳しい状況に直面していた。02年3月期には4億4200万円の営業赤字を計上。「死にはしないが、伸びていくのは厳しい」(小中力・千葉工場長)中、安価で安定的な原料を見つけるのが急務となっていた。
03年1月には、競争力のあるシンガポールの石油化学拠点の増強を検討する事業化調査を開始。だが、ここはナフサ(粗製ガソリン)を原料とするため、原油価格高騰の影響を受ける点では千葉工場と同じだった。
そして、03年3月には、石油化学に強い三井化学との経営統合計画が“破談”で終幕。世界5位の巨大化学メーカーの誕生が幻になると同時に、住友化学の石油化学の強化策にも暗雲が垂れ込めた。
サウジアラムコからラービグ計画へのインビテーションレター(招待通知)が舞い込んできたのは、そこからわずか1カ月後のことだった。
次ページでは、07年当時の住友化学が見込んでいたラービグ計画の「果実」を明らかにする。三井化学との統合破談の影響の払拭や、ITや製薬事業の大きなてこ入れなどもラービグ計画には期待されていたのだ。また、ラービグ計画の最大の懸案についても分析している。さらに、当時の社長でラービグ計画を推進した米倉弘昌氏のインタビューも再掲載。米倉氏は、ラービグの完成が、住友化学にもたらすメリットについて語っていた。