第269回
この大転換期はいつ始まりいつまで続くのか
上田惇生
ドラッカーは『断絶の時代』の20年後の1989年、『新しい現実』において、歴史にも峠があると書き、さらにその4年後の93年には、『ポスト資…
2011.12.19
マネジメントの父と称されたドラッカーの残した膨大な著作。世界最高の経営学者であったドラッカーの著作群の中から、そのエッセンスを紹介する。
第269回
上田惇生
ドラッカーは『断絶の時代』の20年後の1989年、『新しい現実』において、歴史にも峠があると書き、さらにその4年後の93年には、『ポスト資…
2011.12.19
第268回
上田惇生
ドラッカーは、学校に対して、二つの要求を行なう。第一に、肉体ではなく知識が中心の社会となったからには、知識の変化が急である。第二に、知識が…
2011.12.12
第267回
上田惇生
ドラッカーは、ほぼ20年間、米国を代表する日刊の経済新聞「ウォールストリート・ジャーナル」への寄稿を重ねた。何を書いても、その日のランチで…
2011.12.5
第266回
上田惇生
ドラッカーは、成果を上げる能力は、生まれつきのものか、後天的に習得するものかと問い、“習得するもの”だと断言する。
2011.11.28
第265回
上田惇生
世界で最初の、かつ今日に至るも最高の経営戦略書とされている本書において、ドラッカーは、経営計画では、まずリスクの種類を明らかにせよといった。
2011.11.21
第264回
上田惇生
産業社会は社会として成立するか、それは社会的存在としての人間を幸せにするかとの問いを発したドラッカーが、一年半をかけ下した結論が、「成立す…
2011.11.14
第263回
上田惇生
ポスト資本主義社会における“ポスト”とは、○○の後という意味である。したがってそれは、資本主義社会の後の社会である。
2011.11.7
第262回
上田惇生
ドラッカーは、いかなる経緯でマネジメントを体系化し、“マネジメントの父”とされるようになったのか。もともとは、1909年にウィーンで生まれ…
2011.10.31
第261回
上田惇生
今から約70年前の1939年、ドラッカーは、処女作『「経済人」の終わり』を書いた。「経済人」とはエコノミック・マン、すなわちエコノミック・…
2011.10.24
第260回
上田惇生
生産手段を人民のものにするというマルクス社会主義の処方もブルジョア資本主義と同様、約束した平等は実現できなかった。しかも両者は、経済を中心…
2011.10.17
第259回
上田惇生
ドラッカーによれば、人間のすばらしさは、強みと弱みを含め、多様性にある。同時に、組織のすばらしさは、その多様な人間一人ひとりの強みをフルに…
2011.10.3
第258回
上田惇生
50年前、ニューヨーク大学の大学院でドラッカーに教わっていた学生の一人に、やがて世界最大級のアルミメーカー、アルコア社の会長兼CEOに就任…
2011.9.26
第257回
上田惇生
ドラッカーは、1000件に上るイノベーションの事例を集めて、それらの発想に至る契機を一つひとつ調べて分類していったと伝えられる。
2011.9.12
第256回
上田惇生
一人ひとりの人間の自己啓発が、企業、公的機関、病院などの組織の仕事ぶりと発展にとって、中心的な意味を持つ。それこそが組織が成果を上げるため…
2011.9.5
第255回
上田惇生
ドラッカーは、意思決定の過程では意見の不一致が必要だという。理由は三つある。その三つの理由とは…。
2011.8.29
第254回
上田惇生
われわれは今、マネジメントに関して、1550年頃のヨーロッパ人が持っていた米国についての情報ほどにしか知らないのではないかと、ふと思う。
2011.8.22
第253回
上田惇生
能力がなくては優れた仕事はありえず、自信もありえず、人としての成長もありえない。
2011.8.15
第252回
上田惇生
ドラッカーが、自分は傍観者であることに気づいたのは、1923年11月11日のことだった。その日は、18年にオーストリア=ハンガリー帝国が第…
2011.8.8
第251回
上田惇生
中世の暗黒にあって、一つの真理を得るならば、論理の力によって、もう一つの真理を得る。そこからもう一つの真理を得る。さらにそこからもう一つ。…
2011.8.1
第250回
上田惇生
企業家精神というと、100人に1人が持つという感覚である。100人に1人の気質、100人に1人の才能としかねない。ドラッカーは、そこがそも…
2011.7.25