小栗勘太郎
第38回
冷戦崩壊の熱が冷めつつあった前世紀末は、ロックの世界でも先行き不透明な時期でした。商業主義と過激なパンク路線の間で揺れる中、未体験な刺激をもってリスナーを覚醒させたのがレディオヘッドの「OKコンピューター」です。

第37回
今週の音盤は、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。この曲には作曲家の思いが溶け込み、それが旋律に結晶して、聴く者の心がキュンとなります。名演多数ですが、一押しは、ルビンシュタインの1枚。ピアノのタッチがとてもエロく、ため息が出るほどです。

第36回
ハービー・ハンコックは、現代ジャズ界の最高峰です。「処女航海」は、若きハンコックの静かなる自己主張を体現した傑作。この静かな自己主張があればこそ、その後、大きな土俵を得て、過激に自己主張できるようになったのです。

第35回
日本が金環日食に沸いていたその時刻に、ビージーズのメンバー、ロビン・ギブさんが永眠しました。ビージーズと言えば、何はともあれ、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」ですが、彼らはロックの新しい道を切り開いた功労者でもありました。

第34回
人間とは不思議なものです。チームが成功しても、嫉妬や怨嗟という複雑な感情が生まれます。イーグルスも成功を重ねるにつて、絶えざる主導権争いや諍(いさか)いがひどくなります。そうしたメンバー間の軋轢が生む化学反応が、傑作「ホテル・カリフォルニア」を生み出しました。

第33回
アレサ・フランクリンはその才能を早くから認められ、若くしてメジャーデビューしました。しかし、レコードが採用したポピュラー路線はは失敗。仮面を脱ぎ捨て、自分らしくあるため覚悟を決めて歌いあげたのが、この歌です。

第32回
職人技は、常に基本に忠実なところからしか生まれません。磨き抜いた技は、いつしか、自分自身を雄弁に物語るようになります。それを感じさせるのが、ラリー・カールトンです。彼はギタリスト中のギタリスト。彼を聴けば、「ギターは人なり」と断言できます。

第31回
視覚を神に捧げて、その代わりに楽才を賜ったのでしょうか。盲目の作曲家ロドリーゴです。最愛の妻とともに、スペイン内戦で悲劇に見舞われた古都アランフェスを訪れた彼は、妻の語る言葉にインスピレーションを得て、その思いをスペインの民族楽器ギターに託しました。

第30回
全ての芸術は、偉大な作品の模倣から始まっているといっても過言ではありません。オアシスの作品もビートルズ的な音楽の発展系。模倣から始まって、独自のスタイルを築いた素晴らしいアルバムが、この「モーニング・グローリー」です。

第29回
心がウキウキ、スゥイングするって、こういうことなんだ、と実感させてくれるのが「A列車で行こう」です。しかし、この曲の作曲はエリントン自身ではなく、弟子のストレイホーンです。この二人は芸術などと声高に叫ぶことなく、優れた音楽性をエンタテイメントの中にさり気無く注入しています。

第28回
「ローマは1日にして成らず」を彷彿させるアブバムが、ピンク・フロイドの「狂気」です。ステージで繰り返し演奏して楽曲が固まり、デジタル革命の遥か前の時代、スタジオに入ってからは、若き録音技師たちが心血を注ぎ、1年を費やしてつくりあげられました。まさに緻密で巨大な音の構築物です。

第27回
マイケル・ジャクソンがなくなってから、間もなく3年が経とうとしています。マイケルの最高傑作は、言わずと知れた「スリラー」です。この名作もクインシー・ジョーンズとの出会いがなければ、生み出されなかったかもしれません。この名伯楽との出会いが、音楽のジャンルを超えた真の融合を実現しました。

第26回
いよいよ春です。その生々しい息吹を表現したのが、「春の祭典」です。20世紀音楽の嚆矢となったこの曲も、初演は史上まれにみる大失敗でした。しかし、11ヵ月後に見事リベンジ。さらにココ・シャネルからの支援も得て、パリで大喝采を浴びました。

第25回
時代の固有の匂いをまとった音楽というものがあります。今回紹介するニルヴァーナ「ネヴァー・マインド」もその1枚です。ショービジネスに堕してしまったロックに強烈な一撃を突きつけて、たった1枚でロックの進む道を完璧に変えました。

第24回
どんな成功にも、その起点となる特別な瞬間があります。疲れた肉体と調律もままならぬピアノで謳いあげたのが、即興演奏の無限の可能性を示した「ケルン・コンサート」です。これによってキースはジャズの静かなる革命家であることを証明し、成功への扉を開きました。

第23回
大成功の「きかっけ」が偶然だったということもあります。ディープ・パープルは録音を予定していたカジノのコンサートホールが火事で焼け落ちてしまいました。この情景を歌ったのが今日の1曲です。この日の火事はパープルが歌に刻んだから、ロック史上最も有名な火事として記憶されたのです。

第22回
学校の音楽室で見るバッハの肖像はちょっといかめしい。でも、本当は家族思いの仕事人間だったのです。そのバッハが妻に先立たれ、再婚相手の若き妻・アンナ・マグダレーナに送った曲が「フランス組曲」です。美しき音楽の宇宙には新妻への愛情があふれています。

第21回
歌うために生まれてきた女性ホイットニー・ヒューストンが逝きました。享年48歳。彼女の最大のヒット曲がご存知「オールウェイズ・ラブ・ユー」です。若くしてと頂点を極めた彼女は、その後どん底を味わいます。辛酸から立ち直るかと思われた矢先の若すぎる死でした。

第20回
私生活に解決できない問題を抱えながら、偉大な仕事を残した音楽家は少なくありません。ジャズピアノの巨匠ビル・エバンスもその一人です。私生活では麻薬の常習という宿痾(しゅくあ)を、一生抱えながら、死の直前までただ直向に質の高い仕事をし続けます。

第19回
カーペンターズと言えば、1970年代に大ヒットを連発しましたが、批評家の評価は散々でした。確かに一見いや一聴すると、甘ったるく歯ごたえのない砂糖菓子みたいです。しかし、耳をすませば、計算され尽くした乱調があるのです。まさに「美は乱調にあり」。
