ひどく国民をバカにした議論

中野 だって、日本国憲法83条の規定で、国会が予算を決める「財政民主主義」を定めているんですよ? つまり、政治は国民が嫌がる歳出削減や増税を決断できないというんだったら、「財政民主主義なんてやめろ」という話になる。

 これって、「日本の国民も政治家もバカだから、高インフレで自分の生活が苦しくなっても、歳出削減も増税もできない」と言っているに等しいんです。日本以外はどの国もデフレではなく、マイルドなインフレを維持していますが、インフレを止められないほど財政支出を拡大した国は一つもありません。日本だけがインフレの暴走を止められない理由があるのですか?

 それどころか、日本は、過去20年間、「財政赤字を拡大しすぎて高インフレが止まらない」という事態には陥っていません。それどころか、デフレで減税すべきなのに、政治は消費増税を決断できたんです。これほどストイックな国民が、インフレで苦しくなったときに、財政削減や増税を決断できないはずがないじゃないですか?

――たしかに……。

中野 しかもですよ、財政民主主義で財政赤字の拡大が止まらなくなってハイパーインフレになったなどという事例は歴史上一度もないんです。ハイパーインフレは、第一次世界大戦後のドイツのように戦争で供給力が徹底的に破壊された場合や、内戦で混乱して必要なものをつくれなくなったときに起こっています。

 あるいは、ジンバブエのムガベ政権のように、独裁者がめちゃくちゃな政策をやった場合や、90年代に旧社会主義国が資本主義国に移行するときに社会が混乱をきわめた場合にはハイパーインフレが起きています。だけど、今の日本はそんな状況にありませんよね?

 その日本でハイパーインフレを心配するのは、「拒食症の人がご飯を食べようとしたときに、過食症になるからやめろ」と言うのと同じです。世界の失笑を買うだけだから、やめたほうがいいですよ。

ーーなるほど……。

 ちなみに終戦直後の日本も異常な高インフレに見舞われましたが、それも主に戦争のせいでしょう。しかも、当時、インフレ処理にあたった下村治は、「インフレというものはおさめることができる」「どうにもならないんじゃなくて、おさめるための努力を本気でやっておれば、それはうまくいく」と証言しています。

 あえて言うならば、地震や台風などの大規模な自然災害が頻発して、その被害によって供給力が破壊されても、それを放置すればハイパーインフレはありうるかもしれません。自然災害が多い日本であれば、そういう事態は考えられなくもありませんが……。しかし、それを避けるためには、むしろ防災のための公共投資を増やすべきでしょう。

 また、今回のコロナ危機で、マスクや消毒液、人工呼吸器などの医療物資の価格が高騰するということはあり得ます。しかし、これも財政赤字のせいではなく、供給不足によるものです。この種のインフレの解決法も、民間企業の増産に向けて、国が財政支出を拡大して経済的に支援することしかない。

 さらに、昨今では、国連やWTOが、コロナ危機により食料の供給が寸断されるリスクを懸念しています(https://www.jiji.com/jc/article?k=20200403039911a&g=afp)。食料危機もまた、食料の輸入価格を高騰させ、インフレを招くでしょう。しかし、食料の増産ばかりは、そんなに簡単にはできません。だから私は約10年前に書いた『TPP亡国論』で食料危機に警鐘を鳴らし、国内農業の保護を訴えたのですが、それを無視して逆をやったのだから、今さら、どうしようもない。

――うーん……かなりまずいですね。

中野 今も、新型コロナウイルス対策で、医療政策としても経済対策としても、緊急で大規模な財政出動が必要になっています。そういう財政支出に対しても、「そんなことをやったら、新型コロナウイルスが収束しても、財政支出の拡大はとまらなくなるからハイパーインフレになる!」と批判するつもりですか? いや、実際には、そんな馬鹿な批判は誰も言っていませんね。

 要するに、MMTを批判した人たちも、インフレが止められなくなるなどと本気で思っていたわけではなく、単に、屁理屈を言ってMMTを否定したかっただけなのですよ。

 ともあれ、財政民主主義で財政赤字の拡大が止まらなくなってハイパーインフレになったことは歴史上一度もありませんし、そんなことを言うのは、ひどく国民をバカにした議論だと思いますよ。

――そうですね。

中野 ところが、憲法改正論議の中で、財政均衡を義務づける条項を入れるべしと主張する者がいます。これは要注意です。

 というのは、憲法で財政支出の上限を決めるということは、機動的な財政政策ができなくなるということだからです。つまり、財政支出の拡大で貨幣供給量を増やすことができないので、デフレから脱却することができなくなるおそれがあるのです。

 これは前例があります。1930年代の世界大恐慌は大デフレ不況だったわけですが、その原因となった、あるいは、それが深刻化した原因は、金本位制にあったと言われています。

 なぜかというと、金本位制は、金と交換できることで貨幣価値を担保するという考え方ですが、これは同時に、保有する金の量を超えて貨幣を発行することができないということだからです。そのため、貨幣需要が増えたときに、それに応じて財政支出を拡大して、貨幣の量を増やすことができないので、貨幣価値がどんどん上がってしまうのです。つまり、金本位制は強いデフレ圧力をもつということです。

 実際、世界大恐慌から脱出できたのは、各国が金本位制から離脱して、金の制約を受けずに財政支出を拡大して貨幣流通を増やしたからです。その結果、貨幣不足が解消されてデフレからインフレへと転じたわけです。だから、均衡財政を憲法化するのは、非常に危険なことだと考えるべきです。

――なるほど、気になる話ですね。

(次回に続く)

連載第1回 https://diamond.jp/articles/-/230685
連載第2回 https://diamond.jp/articles/-/230690
連載第3回 https://diamond.jp/articles/-/230693
連載第4回 https://diamond.jp/articles/-/230841
連載第5回 https://diamond.jp/articles/-/230846
現在の記事→連載第6回 https://diamond.jp/articles/-/230849
連載第7回 https://diamond.jp/articles/-/231332
連載第8回 https://diamond.jp/articles/-/231347
連載第9回 https://diamond.jp/articles/-/231351
連載第10回 https://diamond.jp/articles/-/231363
連載第11回 https://diamond.jp/articles/-/231365
連載第12回 https://diamond.jp/articles/-/231383
連載第13回(最終回) https://diamond.jp/articles/-/231385

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。