将来計画は、以前より考えてはいたことです。平野浩専務理事と私は10年前に執行部入りしましたが、そのときから。

耀 英一・学校法人学習院院長あかる・えいいち/1942年生まれ。東京都文京区出身。64年学習院大学政経学部経済学科卒業、埼玉銀行入行。協和埼玉銀行取締役、あさひ銀行常務取締役を経て、学習院のOB会である桜友会において理事や副会長、学校法人学習院で評議員、監事、常務理事、専務理事を歴任。2020年より現職。Photo by Y.W.

 一つの法人の中に5学部の共学の大学、1学部の女子大を並立させた状態でどこまで教育の質を高められるか、どこまで学生のニーズに応えられるか、常に潜在的な課題として捉えていました。

 学習院は1877(明治10)年の創立当初から女子の生徒が入学していましたが、85(明治18)年に男子の学習院と分かれて華族女学校が開校しました。1906(明治39)年に学習院と合併して学習院女学部になり、その後に分離して女子学習院と改称。戦後の47(昭和22)年に男女の学習院が合併して私立学校として再出発し、50(昭和25)年には大学短期大学部(53年に学習院女子短期大学に改称)を開設しました。こうして学習院の女子教育は、明治18年から今日に至るまで連綿と続いているわけです。

共学化や募集停止の女子大も
「統合」で相乗効果を出す

――ただ90年代後半になると世の風潮は短大時代の終焉となり、そして今は女子大が役割を終えたといわれるようになりました。

 98(平成10)年には女子短期大学を改組して4年制の学習院女子大を開設しました。

 この98年には男女が社会の対等な構成員として自らの意思によって社会に参画する「男女共同参画社会」に向けた法案がまとまり、翌年に「男女共同参画社会基本法」が施行された。今や男性も育児休暇を取得する時代、男女の役割はほとんど同じ。社会状況が大きく変わってきました。

 近年、女子大は少子化の影響も受け、学部学科の改編のほか、共学化、募集停止などを決断するようになっています。では学習院女子大にとって最適な選択肢は何か。

 導き出した答えが「統合」でした。これが教育上と経営上のどちらにとっても齟齬のない、前向きな選択だと判断しました。