マスコミ各社は各界各層、あらゆるジャンルの著名人、話題の人の「死亡予定稿」をストックしている。もちろんリストを含めて門外不出である。厳重管理の徹底は言うまでもない。その膨大な予定稿の中で長くリストアップされてきた一人が、創価学会名誉会長の池田大作ではないか。
第3代会長として創価学会を日本最大の宗教団体に発展させ、1964年に結成した公明党は自民党との連立政権の一翼を担うまでになった。このため池田の動静は長く日本メディア界の最大関心事だった。その池田が11月15日、老衰のため死去した。95歳だった。
首相の岸田文雄は19日夜、弔問のため東京・信濃町の創価学会本部別館を訪ねている。
岸田はこの日の未明、米サンフランシスコで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議への出席を終えて帰国したばかり。日本のトップリーダーが日程をやりくりして池田の弔問に足を運んだことでも、公明党における池田の存在感がいかに大きかったかを物語った。
池田は体調不良が伝えられ、長く公の場に姿を見せなかったとはいえ、公明党議員にとって精神的支柱で、結束のよりどころでもあった。池田の訃報が流れた直後に取材した元公明党の最高幹部は声からも喪失感が伝わってきた。
「公明党議員の一人ひとりが名誉会長と精神的につながっていた。青年時代に出会ってから人生の節目で激励をしていただいた。名誉会長が存命であることが励みだった」