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このことは裏返しに言えば物資量の問題である。第一次大戦当時は、物資は相対的に見て豊富潤沢であったが、今日は、欠乏そのものである。この物資の現存量ないしは供給力の相違が、当時と今日との経済的相違の基本的なものとして指摘されなければならない。
第一次大戦当時は、自由経済が建前であった関係上、米に対する若干の統制があったくらいのもので、他は自由放任で、どんなものが輸出されようと、どれだけ輸出されようと、物価や株価が暴騰し、どんな事業会社が計画されようと、どれだけ高配当が行われようと一切合切、お構いなしという有様であった。統制経済の今日では、それらのことが全く反対である』
今回ばかりは、“棚ぼた”ともいえる好景気は望めない。至極真っ当な分析である。
【28】1940年
大政翼賛体制に賛同し
誌面の刷新を宣言
1940年9月、第2次近衛文麿内閣は日独伊三国同盟を締結し、ヒトラー率いるナチス・ドイツやムッソリーニ率いるイタリア・ファシスト党が目指す「ヨーロッパ新秩序」に呼応するかたちで「大東亜新秩序」「高度国防国家」の建設を目的に掲げた。
全ての政党は解党して近衛首相を総裁とする大政翼賛会が結成され、ファシズム体制が成立した。結社や言論の自由などが奪われ、国民生活は厳しい戦時統制下に置かれることとなった。その中において、「ダイヤモンド」も体制側に組み込まれていく。
40年9月11日号には以下の「声明」が掲載されている。
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皇国は、国内の新制建設を声明し、あらゆる制度・機構を改革して、一は国防国家の完成により、事変の解決に東亜の非常に備えると共に、他はこの国家体制を通じて、新東亜の建設、更に進んでは、世界新秩序の形成者たる自覚へ進まんとしているのであります。
かかる際、経済界並びに経済言論界も独り従来の行き方を許されるものでなく、一切を挙げて国家に奉仕し、国策に協力し、以て国家目的の一日も早き実現へ進まねばなりません。即ち、経済界においては、私益主義に非ずして公益主義の確立、それによる国力の急速充実。 経済言論界においては、新経済倫理・新産業精神の鼓吹、経営、投資の新指導、経済一般の国策的研究等であります。
本誌は、従来も、研究の正確、報道の公正を自認して、日本経済の発達に微力を竭(つく)して来ましたが、右に述べた言論奉仕のいかに今日重大なるかを考え、ここに従来の方針に一大刷新を加えて、国策により一層の協力をすることとなりました。即ち、記事の内容、編集の方針・技術等に一大変更・刷新を行い、新しい意識に立って、経済界の指導に邁進することとなったのであります』
立法・行政・司法を監視する「第4の権力」となるどころか、メディアが国策に協力し、戦争への道を正せなかった歴史を、現代を生きるわれわれは反省とともに深く心に刻まなければならない。
【29】1941年
8億円の国家プロジェクト
「人造石油」の開発製造
東南アジアへの進出を進める日本への経済制裁として、米国、英国、オランダは日本への石油輸出を全面禁止する。当時の日本は、石油の9割以上を輸入に依存していたため、状況打破のために1941年12月8日、米国との開戦に踏み切った。
それほどまでに石油資源の確保は日本にとって重要な課題だった。一方で、石油代用燃料の開発も国家プロジェクトとして進められていた。37年に「人造石油製造事業法」が制定され、帝国燃料興業という半官半民の企業が資本金1億円で設立された。
36年からダイヤモンドでも盛んに人造石油開発に関する記事が掲載されているが、41年3月1日号には「画期的発展の人造石油」という記事がある。帝国燃料興業が急速発展を遂げているという内容だ。
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(中略)
詳細なる説明は事業の特質上許されないが、現在帝燃の関係投資会社は十二社を数える。操業開始のものは早くも、その半ばに達せんとしている。残余も、順次計画通りに操業開始の運びに至る筋合にある。日満を通じて、事業は順調に推移しているのである。
朝鮮における朝鮮石炭工業の阿吾地工場は、昭和13年より製造開始し、目下増設中である。
吉林人造石油は東洋における最大なる規模を有する人造石油工場である。このほか、満州油化工業は総合運転に成功し、撫順の頁岩油工場は、すでに歴史は古く、現在、○○万キロリットルの粗油を製出している。両者はさらに拡張計画が進められている』
37年度の国家予算は約20億円だから、その計画の壮大ぶりが分かる。記事では製造量の数字の部分は伏せ字となっているが、計画の最終年度の43年にはガソリンと重油を合わせて200万キロリットル生産し、年国内需要の約5割を自給自足するというものだったという。
しかし、日本における人造石油生産はピークの44年で11万1000キロリットルに過ぎず、技術的にも採算の上でも失敗に終わった。