【48】1960年
60年安保の政情不安が
貿易自由化の流れにも影響

 1960年6月、政府が示した「貿易為替自由化計画大綱」に、自由化論者の「ダイヤモンド」は7月2日号で「政府の自由化計画に立ちむかう産業界」というレポートに6ページを割き、早速かみついている。

 60年は日米新安保条約の改定に反発する大規模なデモや抗議運動が全国で展開された年でもある。そのピークがまさに6月だった。

 60年6月10日、米アイゼンハワー大統領の訪日に対して大規模な反対デモが起こり、直前になって訪日が中止となる。6月15日には、安保条約改定に反対するデモの中で、警察とデモ隊が国会議事堂正門前で衝突し、東京大学生の樺美智子が死亡する事件もあった。

 日米の政治・経済の変動が複雑に絡み合う中、政府はどのような自由化計画を打ち出すか、注目が集まっていたが、誌面では「抽象的な計画でお茶を濁した」と断じ、計画原案からは自由化への力強い前進意欲が見られないと批判している。

1960年7月2日号「政府の自由化計画に立ちむかう産業界」1960年7月2日号「政府の自由化計画に立ちむかう産業界」
PDFダウンロードページはこちら(有料会員限定)
『政府の自由化計画は、5月末に決まる予定だったが、政情の大混乱から1カ月も遅れることになった。
 当初、政府の方針は3年間に90%も自由化するというのであったが、産業界はいずれも慎重論をとなえたし、関税の引き上げや独禁法の改正など、自由化対策を強く政府に要求した。
 この自由化慎重論に拍車をかけたのが、今度の安保騒動だ。日米経済関係にヒビが入って、対米輸出が阻害されれば、輸入自由化も考え直す必要があるのではないか、というのである。
 鉄鋼連盟の自由化対策委員会の伍堂副委員長(日本鋼管常務)も「広い意味の日米経済協力は少なくとも、好転しつつあったのだがこれで少し足踏みするのでないか自由化対策をもふくめて、慎重を期する必要があるのではないか、という面が強くなった」と語っている。
 しかし、自由化の窮極の目的はわが国が自由主義国家群との協調体制のなかで、安定発展の条件をつくることだ。
 その意味で、この際、自由主義国家の一員として日米経済関係を強化するためにも、自由化を積極的に進めるべきであり、後戻りしないように十分検討しなければならない。
 ただ各産業界はいずれも、「無理に自由化を押し進めると、わが国経済を混乱させる」という不安を表明している。
 そういう点から、アイク訪日延期という不祥事件のために、自由化対策を遅らせることは、本末転倒のきらいがある。だが、実際はブレーキをかけているような空気なのである』

 レポートでは、繊維、鉄鋼、自動車、産業機械、石炭・石油の主要5業界について、自由化に対する基本的態度と準備状況について伝えている。

 いずれにしても為替・貿易自由化へのかじは切られた。国内産業が急激な変化に耐えられるよう、一度に全面的に行うのではなく、特定の輸入品目に対する制限や、関税率が段階的に緩められるなど、徐々にではあるが確実に実施されていくこととなる。