確かに、新しい時代の始まりとともにあらゆる領域で新旧交代が進むという空気があったのは事実だ。当時は、世界企業の時価総額ランキングで日本企業が上位を独占し、GDP(国内総生産)をはじめとする各種経済指標も日本は世界のトップ水準にあった。企業業績も株価も順調で、前記の特集でも「NTT株1株でベンツが買える日 東京ダウ4万円へ3つのシナリオ」と題した証券会社のストラテジストの寄稿記事がある。日経平均株価は89年12月2日の大納会で3万8915円を付けた。地価高騰もすさまじく、東京23区の地価が米国全体の地価の合計を上回るといわれた。

 これらの現象はバブルだったとわれわれは後に思い知らされるが、当時は「これこそが新しい時代」と錯覚していたのかもしれない。

 その後のバブル崩壊と、日本の凋落(ちょうらく)ぶりは今さら言うまでもない。バブル崩壊後の“負の遺産処理”には「失われた20年」と呼ばれるような長い時間を空費することになる。