【80】1992年
ようやく覚めたバブルの余韻
長期かつ構造的な不況の始まり
一般に平成景気(バブル景気)は1986年12月から91年2月頃までの期間を指す。日経平均株価は89年末に最高値を付けると90年以降は下落を続け、91年からは地価の下落が始まった。
とはいえ、「バブル崩壊」という言葉こそ広く用いられるようになっていたものの、91年ごろはまだ、一般の人々が不況を実感していたわけではなかった。バブルの象徴のように語られるディスコ「ジュリアナ東京」の開業は91年である。世間は依然、バブルの余韻に浸っていた。
しかし92年に入ると、変調は無視できないレベルに広がっていった。例えば企業倒産が増加し始めたのだ。特に、地価下落の影響をもろに食らった不動産業で、その傾向が顕著となった。
景気とは循環なのでいつかは回復する。しかし「山高ければ谷深し」である。“バブルの清算”という作業を要する今回の不況の克服には、果たしてどのくらいの時間を要するのか。92年4月25日号の特集「この不況は長期化する」では、そんな“新型不況”の構造を解明している。
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しかし、バブルの崩壊による不動産業の倒産は、その構造がハッキリしているだけに分かりやすい。問題は、こうした状況がその次のステージに進んだとき。むしろ、これからである。
(中略)
バブル時代に、資産インフレからいくらでも資金が調達できるようになった企業は、余剰資金を2つの方向に投資した。1つは不動産や株式などの財テク投資、もう1つは本業の設備投資、それも安易な能力増強投資であった。ポストバブル時代の倒産形態としては、この2つの点を考えなければならない。
「バブルの崩壊とともに、まず前者が打撃を受けました。財テク失敗、倒産や不動産倒産などはその典型例でしょう。景気全体が冷え込んでくれば次に打撃を受けるのは、過剰な設備投資を抱え込んだ後者」(帝国データバンク情報部・熊谷勝行課長)なのだ』
ここで指摘された、需要低下に対して過剰な設備投資が負担となる「設備の過剰」では、特に製造業が大きな打撃を受けた。また、多額の借入れを行っていた企業は「負債の過剰」に苦しんだ。収益減少に伴い返済不能に陥り、不良債権問題が拡大していった。そして、景気悪化により雇用過多が生じ、特に銀行や建設業などは「雇用の過剰」に陥り、人件費が重荷となって人員リストラを余儀なくされた。
バブル崩壊後の日本企業は、これら「三つの過剰」に悩まされることになる。