国民民主党とは期限付き部分連合、現実味を帯びる「衆参同日選挙」11月1日、国会内でインタビューに答える国民民主党代表の玉木雄一郎。自民党と国民との合意は政策ごとの部分連合にとどまっている Photo:JIJI

 首相の石破茂の自民党総裁選挙辛勝で始まった「令和政変」は、衆院総選挙での自公大敗を経て少数与党政権という極めて不安定な政治状況を生んだ。31年前、1993年(平成5年)の自民党野党転落と非自民非共産の細川護熙連立政権が誕生した「平成政変」を思い起こさせる。平成政変は翌年に「自社さ連立」という想像を超えた異形の政権にたどり着く。令和政変はそのとき以上の波乱要因が内在しており、大乱世の到来は間違いない。

 もともと石破が突っ込んだ衆院解散・総選挙は無謀な賭けといってよかった。ほとんど勝機はなかったからだ。裏金問題に加え、石破の発言がブレまくった。選挙で「わびる」と「ブレる」は必敗のパターン。さらに10月27日の投開票日直前になって、自民党が非公認とした候補の政党支部に公認候補と同額の2000万円を支給していたことが発覚。この時点で自民党は息の根を止められた。

 結果は公示前の247議席から191議席に激減。公明党も32議席から24議席に後退した。自公合わせても215議席。過半数の233には遠く及ばなかった。しかも石破は勝敗ラインについて「与党で過半数」を繰り返していた。むしろ石破の退陣論が出ない方が不思議だったが、「石破降ろし」の気配はない。石破に代わる“対抗馬”とみられていた高市早苗は頼みとする旧安倍派候補が多数落選したことで勢いを失った。