「きぬかけの路」伝いに「龍安寺」「金閣寺」
きぬかけ(衣笠)山のふもとを東西に走る2.5kmほどの「きぬかけの路」は、「仁和寺」「龍安寺」「金閣寺」という三つの世界文化遺産をつなぐ、とっておきの散策路です。途中には、校舎がすっかり建て替えられた立命館大学衣笠キャンパスも。周囲の景観に配慮して、4階建てから3階建てに、その分、地下フロアを増やしています。向かい側にある堂本印象美術館にもぜひ立ち寄ってみてください。
ここで「きぬかけ」の名の由来を。夏のある日、あまりの暑さに宇多天皇がふと「雪見がしたいものだ」とつぶやきました。それを耳にした側近たちが、なんとかその願いをかなえようと思案した末、雪化粧に見立てて、白絹の布を山に掛けたのです。
以来、この山は衣掛山(きぬかけやま)と呼ばれるようになり、それが転じて「衣笠山」という名に定まったようです。遠目で雪化粧に見立てられるほどの絹地の面積とはどれほどのものか……と、織り手の苦労を思わずにはいられませんが、平安時代らしい雅が感じられるエピソードです。
さて、仁和寺の二王門前から龍安寺までは、東へ徒歩13分ほど。石庭で名高い龍安寺は、室町中期の1450(宝徳2)年、武将であり守護大名の細川勝元が、妙心寺の義天玄承を住職として招いて創建した臨済宗妙心寺派の禅寺です。
15の石を配した方丈庭園は、禅の石庭を代表する名庭です。半世紀前に訪れた英国のエリザベス2世が賛美したことで、世界にその名をとどろかせました、築地塀に囲まれた白砂に点在する石は、15個あるはずなのに、どの場所から見ても14個までしか数えることができません。度重なる火難によって造営時の史料が焼失し、作庭年も、作者も、その意図も不詳であるがゆえに、これまでさまざまな解釈が議論されてきました。
古くから中国では15という数が「満」、つまり悟りを表しており、もう一つが見つからないことから、悟りを求めて修行を絶やさないことを説いているのだという説があります。また、母虎が3頭の子虎(うち1頭はどう猛で、目を離すと兄弟すら食べてしまう)を対岸に渡すため川を泳ぐ姿を表現、それが禅問答を示していると「虎の子渡しの庭」の名もつきました。この謎めいた石庭が語りかけるメッセージの答えは、見る人それぞれの心の中にあるようです。お庭と対峙(たいじ)することで、己と向き合ってみてはいかがでしょうか。