藤江直人
日本サッカー界に大きな衝撃を与えた鹿島アントラーズの経営権譲渡。日本を代表する重厚長大型企業の日本製鉄株式会社から、創業わずか6年半で急成長を遂げたIT企業の株式会社メルカリへ筆頭株主が変更される舞台裏には何があったのか。

今夏の移籍市場で、Jリーガーたちが続々とヨーロッパへ新天地を求めている。7月末の時点で、11人が移籍を決断した。日本サッカー界で何が起こっているのか。目まぐるしく変化する舞台裏の動きを追った。

レアル・マドリードへ移籍した18歳の久保建英が、存在感を高めている。スター選手が集結する新天地で威風堂々とプレーしている背景は、流暢なスペイン語と習得中の英語を駆使して、積極的にコミュニケーションを図れる点を抜きには語れない。

Jリーグを代表する常勝軍団、鹿島アントラーズが緊急事態に見舞われている。7月9日からの1週間で次代を担う3人の若手、24歳のDF安西幸輝、20歳のMF安部裕葵、23歳のFW鈴木優磨が欧州へ続々と新天地を求めたのだ。

森保ジャパンが発足してまもなく1年になる。現時点で「10」を数える国際親善試合はすべて日本国内で組まれている。海外の厳しい環境下でプレーしてこそ真の強化につながる図式を理解していても実現に至らない舞台裏には何があるのか。

あと一歩及ばず、グループリーグ敗退を喫したコパ・アメリカ。東京五輪世代が18人を占めた若き森保ジャパンをけん引したのが2人のベテラン、36歳のGK川島永嗣と33歳のFW岡崎慎司だった。

フランスW杯のオランダ女子代表との決勝トーナメント1回戦で、日本女子代表は1-2で敗れてベスト16で姿を消した。しかし、一時は同点に追いつくゴールをアシストするなど、大会を通じて存在感を放ったのが26歳のFW岩渕真奈だった。

レアル・マドリードへの移籍を電撃発表した久保建英。日本代表デビュー時は無所属状態となっていた舞台裏や、下部組織時代を過ごした古巣FCバルセロナの宿命のライバルを新天地に選んだ理由を、久保やFC東京社長の証言などを基に探った。

エルサルバドル代表とのキリンチャレンジカップで、久保建英が大きな存在感を放った。歴代2位の若さとなる、18歳5日で日本代表デビューした逸材がピッチの内外で刻んだすごさを、長友佑都の言葉をもとに再現する。

2018年度クラブ決算で対照的な数字が弾き出された。ともに超大物外国籍選手、イニエスタとトーレスを獲得し、大きな注目を集めたヴィッセル神戸とサガン鳥栖。前者は、J1クラブ最大の黒字へV字回復し、後者は同最大の赤字へ転落した。

なぜ大相撲やプロ野球、あるいはテニスのようなビデオ判定制度がJリーグにはないのか。J1の浦和レッズ対湘南ベルマーレで起こった、明らかなゴールが認められない世紀の大誤審が、サッカー界を越えて物議を醸したことはまだ記憶に新しい。

森保ジャパンがキリンチャレンジカップとブラジルで開催されるコパ・アメリカの2つの国際大会に挑む。しかし、日本サッカー協会は陣容が大きく異なる2つの代表チームを編成した。強化の観点からは疑問符がつく判断の背景には何があったのか。

FC東京のMF久保建英が、6月に国際間移籍が可能な年齢である18歳になる。それを受けて、スペインのスポーツ新聞が名門FCバルセロナへの復帰が内定したと報じ、すぐさまFC東京側が事実無根と否定するひと幕もあった。

26日のボリビア戦で決勝ゴールを決めたMF中島翔哉は、この冬にポルトガルからカタールへ移籍して世界中を驚かせた。成長への道をヨーロッパの5大リーグではなく、ランクが大きく落ちる中東へあえて求めた、24歳の決断の背景を追った。

ロシアW杯を最後に日本代表から遠ざかっていた香川真司が満を持してコロンビア代表選で、復帰する。「平成生まれで初めての日本代表選手」になってから足かけ12年。30歳になった香川は2022年の次回ワールドカップを照準にすえて試合を待つ。

メルボルン・ビクトリーFCの一員として本田圭佑が凱旋帰国し、ACLグループリーグ第2戦で鮮やかなゴールも決めた。そして試合後には「本田節」を連発させ、アスリートとしてだけでなく、嗅覚鋭いビジネスマンの顔をのぞかせていた。

開幕から2試合を終えた今シーズンのJ1戦線で、FC東京の17歳、MF久保建英が昨年までは見られなかった存在感を放っている。先発を勝ち取った変化の原点を探っていくと、昨夏の横浜F・マリノスへの期限付き移籍があった。

FWルーカス・ポドルスキ、MFアンドレス・イニエスタに加えて、FWダビド・ビジャも獲得。世界も注目する豪華布陣を完成させたヴィッセル神戸だが、22日の開幕戦でセレッソ大阪に0-1で苦杯をなめさせられた。

プロ生活23年目を迎えた中村俊輔。昨秋には「引退」の二文字が脳裏をかすめたが、ジュビロ磐田との契約を更新した。J1最年長になる今年、現役続行を決意した軌跡をたどると「師匠」と呼ぶレジェンドの引退がターニングポイントになっていた。

日本代表は惜しくも準優勝となったアジアカップ。ゴールマウスを守った権田修一は、決勝直前にポルティモネンセSC(ポルトガル)への完全移籍が発表されている。30歳になる直前に、レギュラーが約束されたサガン鳥栖をあえて飛び出した思いに迫った。
