ナレッジは教師の頭の中にだけあるのではない
これからの時代の「先生」の役割とは?
――エデさんはすでに2度、日本に訪れたことがあるということですが、その時日本の教育シーンについて感じたことを教えてください。
教育について言うならば、PISAランキングで日本が2位、そしてエストニアが3位と、両国を取り巻く教育環境は非常に近いと感じています。これらの結果が示すように、両国の日本の子どもたちは物事を記憶することに長けていますが、一方で新しい課題に直面すると固まってしまうことが多いのです。これらは従来の伝統的な教育の弊害だと思っています。
だからこそ、これからの未来の教育では、教師は「ファシリテーター」になるべきだと思っていますし、Eesti2.0もこの信念に基づいて活動しています。孫泰蔵さんが立ち上げたVIVITA(ヴィヴィータ)も、同じようなアプローチで解決しようと試みていると理解しています。
今の時代、ナレッジ(知識)はどこにでも転がっています。生徒が教師に何かを教えることも可能だと思いますし、生徒同士が教え合うことだってあるでしょう。このことからも、従来のナレッジを一方向的に教える教育システムには限界があると考えているのです。
ナレッジは教師の頭の中だけではなく、あらゆる場所にあるんですよ。
――孫泰蔵さんもまさに同じようなことをおっしゃっていました。
ええ、Latitude59(注:エストニアで毎年5月に開催されるスタートアップイベント)では、私が彼をインタビューしましたからね(注:「孫家の教え」第31回、第32回を参照)。彼と話していると、「あ、それ私もまさに同じことを考えているわ!!」ということばかり。ただ、彼のほうがよっぽどうまく表現してくれますが(笑)