矢野次官の“論理”が、日本の「財政健全化」を妨げている

 ところが、この主流派経済学の新たなコンセンサスを、矢野次官は「一見まことしやかな政策論ですが、これはとんでもない間違いです」と一蹴し、こう反論したのである。

「先ほどの政策論のどこが間違っているのかと言えば、財政出動によって、『国債残高/GDP』の分母であるGDPが一定程度は膨らむにしても、分子の国債残高も金利分だけでなく、単年度収支の赤字分も膨張してしまう点が無視されているのです。

 小理屈めいた話はうさん臭い。ホントかな、などとお感じになるかもしれません。しかし、これはケインズ学派かマネタリストかとか、あるいは近代経済学かマルクス経済学かとか、そういった経済理論の立ち位置や考え方の違いによって評価が変わるものではなく、いわば算術計算(加減乗除)の結果が一つでしかないのと同じで、答えは一つであり異論の余地はありません。」

「答えは一つであり異論の余地はありません」などと自信たっぷりに断定しているが、何を言っているのか意味不明である。

 それこそ「算術計算(加減乗除)」で考えてみよう。

 1以上の分数は、分子と分母が同じ額だけ増えると、小さくなる。

 日本の「国債残高/GDP」は1を大幅に上回る。したがって、仮に分子の「国債残高」と分母の「GDP」とが同じ額だけ増えたとしたら、「国債残高/GDP」は縮小することになる。

 さて、例えば、現状におおむね即して、日本のGDPが500兆円で、日本政府は1000兆円の国債残高を抱えているとしよう。そして、金利も含む単年度の財政赤字が50兆円あるとする。この場合、年度末の国債残高/GDPは210%(=(1000+50)/500)である。

 ここで、日本政府が20兆円の国債を発行して、20兆円の追加財政支出(非移転支出)を行ったら、どうなるか。

 すると、確かに、分子の国債残高は、1070兆円(=1000+50+20)に増加する。金利については、現在、ほぼゼロであり、しかも中央銀行の操作によって抑制できるため、新たに発行する20兆円の国債にかかる金利は無視しよう。

 だが、同時に、分母のGDPもまた、少なくとも20兆円は増えるのである。「GDP=消費+投資+政府支出+純輸出」なのだから、当然であろう。

 その結果、「国債残高/GDP」は、210%から206%(=1070/(500+20))へと低下する。財政出動が民間の投資や消費を増やす効果を無視したとしても、低下するのだ。

 しかも、この数字は、財政出動額を増やすほど低下することが、簡単に確認できるだろう。

 つまり、よほどの高金利になるか、あるいは政府支出の増加によって投資や純輸出などが減少するようなことでもない限り、財政出動によって日本の「国債残高/GDP」は縮小し、財政はより健全化するのである。

 もちろん、財政出動が「国債残高/GDP」を縮小させるという主流派経済学の議論は、これほど単純な算術計算ではなく、もっと厳密なモデルに基づいている(IMFOECDCBPP)。

 ここで言いたいのは、それを「とんでもない間違い」と一蹴する矢野次官の算術計算の方が、「とんでもない間違い」だということだ(https://president.jp/articles/-/51325?page=2)。

 日本の財政健全化を妨げているのは、「バラマキ合戦」の政治家たちではなく、積極財政に反対する矢野次官の方なのである。

 なお、現在進行中の資本主義の大転換や、それに伴う経済理論や経済政策の変化については『変異する資本主義』を参照されたい。

(注1)Lawrence Summers, ‘Demand Side Secular Stagnation,’ American Economic Review, 105(5), 2015:60-65.8
(注2)Janet L. Yellen, ‘Macroeconomic Research After the Crisis,’ 60th Annual Economic Conference, Boston, Massachusetts, October 14,2016

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』『日本経済学新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。11月17日に最新刊『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)が発売される。