直近の23年度上期(4月~9月)の車名別国内新車販売では、N-BOXが前年同期比16%増の10万409台となり、2位のトヨタ「ヤリス」(9万4443台、同12%増)に約6000台の差をつけてトップを獲得した。通常、モデル末期になると販売が落ち込むことを考えれば、このN-BOXの圧倒的な強さは言うに及ばないだろう。

 だが、この上期での車名別販売ベスト10を見ると、ホンダ車はN-BOX以外見当たらない。

 つまり、N-BOXは“国内最強車種”といって差し支えないものの、「日本市場では、ホンダはN-BOXしか売れていない」というジレンマにも陥っているのだ。

 それが言い過ぎというなら、2022年のホンダの日本国内販売は全体で57万台にとどまり、そのうちN-BOX販売が36%、さらに「N-WGN」などNシリーズの軽自動車で実に53%と過半数を占めているという実態を見てもらえばいいだろう。

 これが、業界関係者から「ホンダは、日本国内市場では“軽自動車メーカー”になっちゃったね」と言われているゆえんである。

 それでは、なぜホンダは日本国内において、N-BOX主体の軽自動車販売に強く依存するようになってしまったのか。それはホンダの国内販売の歴史と日本の自動車市場の変遷と関係している。

ホンダの乗用車参入は軽自動車から
11年に起死回生の新型車投入

 ここで簡単に、ホンダの歴史を振り返ろう。

 そもそも、それまで二輪車が主体だったホンダが四輪乗用車事業に参入したのは1967年のこと。その際に投入したのが「N360」という軽自動車だった。この時の販売網は、二輪車を土台とするものであった。

 その後、日本の車市場の急成長期にホンダは四輪車ディラー網の育成に乗り出し、80年代半ばに軽自動車主体の「プリモ」、スポーティーカー主体の「クリオ」、高級車主体の「ベルノ」と、車種別に国内3チャネルの量販体制をスタートさせた。

 同時に、日本の急激なモータリゼーションの進展によって、国内新車販売台数はバブル景気時の90年にピークの777万台にまで成長した。そのリーダー役はトヨタと日産の両大手だったが、バブル崩壊後、車市場も停滞期に陥り、90年代末には日産の凋落(ちょうらく)が表面化した。2000年代に入り、日産に代わってトップのトヨタに対抗する勢力となったのは、ホンダだった。