とはいえ、この時点ではまだ一時的な現象と見ていたようだ。

1985年11月9日号「大波乱!世界マネーマーケット 為替/金利/株式/債券/先物/金はどうなる」1985年11月9日号「大波乱!世界マネーマーケット 為替/金利/株式/債券/先物/金はどうなる」
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『かくして実現した大量介入は、幸いにして所期の効果をあげた。
 しかし、ドル安がこのまま続くか否かには大いに疑問が残る。
 協調介入をはさんで前後のマクロ経済ファンダメンタルズになんら変化はなく、そうした変化を生むべき経済政策のフォローアップにもみるべきものはないからである。
(中略)
 介入効果が色あせてくれば、ドル円相場に関しては資本収支面からの円安プレッシャーは避けられない。
 すでに、10月初旬ソウルでのIMF総会に各国首脳が集まったにもかかわらず、介入後のフォローアップとしてのドル高是正の具体策に進展がみられなかったことを嫌気して、外為市場にぼつぼつ目先ドル先高観が出てきた。
 10月中旬以降は協調介入の矛先も円からマルクへ移ってきた。欧州外為市場では、従来ポンド以外の介入を排してきたイングランド銀行がマルク買い介入を実施し話題になっている。10月25日のレーガン中曽根会談で日銀の介入努力の成果を示せたことにより日本政府のメンツは保てた。ドル円相場は6カ月以内に240円まで戻してもおかしくはない』

 しかし、こうした読みははずれ、この後、85年末には1ドル=約200円とさらにドル安・円高が進む。86年以降もその流れは止まらず、86年末には1ドル=約160円、87年末には約120円と空前の円高となった。

 急激な円高は日本の輸出産業に打撃を与え、それを救うために日本政府と日本銀行は景気対策として金融緩和政策(金利引き下げ)を実施した。その結果、金融機関や企業、個人の間で増加した余剰資金が不動産と株式市場に流入し、バブル経済が形成されていくのである。

【74】1986年
男女雇用機会均等法元年
女性社長200人にフォーカス

 1986年は、男女雇用機会均等法の第1世代が社会人になった年だ。国連総会で採択された「女性差別撤廃条約」を日本も80年に批准しており、女性に対するあらゆる差別を撤廃するための法的整備が求められていた。そうした背景から、85年5月に男女雇用機会均等法が成立した。

 もっとも同法の制定当初は、採用や配置などで男女間差別を行わないことは「努力義務」に過ぎず、女性であることを理由とする差別的扱いが「禁止」となったのは97年の改正から。その後も改正を重ねて男女平等の実現や働く女性の権利保護を推進してきたが、実態面での男女の格差はいまだに残っているのは否めない。