1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第13回は昭和後期、1981~84年までの4年間だ。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
【69】1981年
ミスター合理化・土光敏夫が
“臨調”で切り込んだ行政改革
1980年代初頭、日本の財政赤字は急速に拡大していた。この状況を改善するため、鈴木善幸内閣は「増税なき財政再建」を掲げ、81年に行政改革を審議する「第二次臨時行政調査会」を設置した。会長を務めたのは、石川島播磨重工業社長、東芝社長・会長を歴任し、それぞれの再建を成功させた実績から「ミスター合理化」と称された土光敏夫だ。
通称「土光臨調」の発足を受け1981年4月11日号では、表紙に土光の似顔絵を配し、「最後の切札“第2臨調”スタート 行政改革ここが焦点」という特集が組まれている。冒頭では「行政改革とは何か」に紙幅を割き、行革とは「単なる組織変更と革命的変革との間の、『広い範囲にわたる政府組織の変化』を指す」と定義している。土光臨調への期待の大きさがよく表れている。
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鈴木総理は「行政改革に政治生命をかける」と明言し、中曽根行政管理庁長官も「土光敏夫氏(第2次臨時行政調査会会長)と心中するつもり」と、並々ならぬ決意を明らかにした。
いま日本中は“行革一色”に塗りつぶされ、国民も「今度こそは」と、その結果に注目し始めた。
なぜ、いま行政改革なのか。そもそも“行革”とは何か。わかっているようで、実は案外不明な点が多い。
行革が政府組織の単なる部分的な手直しならば、これだけ騒がれる必要はない。企業で組織変更や人事異動が日常茶飯事であるように、政府が世の中の変化に応じ、組織を転換、人の配置転換をすることは、当たり前のことだ。国土庁やエネルギー庁が誕生するのは、組織変更であり、"行革”の一部ではあっても、とりたてて騒ぎたてることもない。
では逆に、現在の議院内閣制度や議会制民主主義の変革(これは一種の革命だ)まで含む変革かといえば、そんなことはとてもできない。
したがって、行革とは、単なる組織変更と革命的変革との間の、「広い範囲にわたる政府組織の変化」を指すものといっていい』