後藤謙次
Number 481
東京都知事の小池百合子(67)が「ステイホーム週間」と名付けた大型連休中に政界勢力図に“異変”が起きていた。連休明けに報道されたメディアの世論調査の政党支持率で日本維新の会が立憲民主党を抜いて野党第1位に躍り出たのである。

Number 480
「もはや時間の猶予はない。国民生活や国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあり、緊急事態宣言を発出することにした」。首相の安倍晋三がこう述べたのは4月7日。さらに安倍は、宣言の期間を「5月6日までの1カ月に限定する」として“短期決戦”への国民の協力を呼び掛けた。

Number 479
「山口那津男の乱」と呼んでいいだろう。公明党代表の山口那津男の鬼気迫る直談判に首相の安倍晋三が折れ、一夜にして新型コロナウイルス対策の中核部分の大転換に追い込まれた。

Number 478
『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』は東京都知事の小池百合子が2017年7月の都知事選で勝利した際に言及した“座右の書”。第2次世界大戦のノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパールなど旧日本軍が致命的なダメージを受けた六つの戦闘を検証し、敗戦に至る要因を分析したものだ。その『失敗の本質』が新型コロナウイルスによる感染症に直面して再びクローズアップされている。

Number 477
もはや時間の猶予はない。国民生活や国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあり、緊急事態宣言を発出することとした」首相の安倍晋三は4月7日午後7時すぎ、記者会見で国民に向けてこう呼び掛けた。宣言発令は8日午前0時。戦後75年、日本が初めて経験する「緊急事態宣言下」の日常が始まった。

Number 476
コメディアンの志村けん(享年70)が新型コロナウイルスによる肺炎で急死した。3月30日昼前、NHKが速報し、海外メディアも韓国の聯合ニュースが「日本で志村さんのような有名人がコロナ感染で死亡したのは初めて」と報じた。

Number 475
迷走を続けた東京五輪・パラリンピックの開催は「1年程度の延期」で決着した。3月24日夜に行われた首相の安倍晋三と国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハによる電話協議後、安倍が発表した。

Number 474
新型コロナウイルスは地球規模で人類全体を脅かす。3月16日の米ニューヨーク株式市場の暴落は先の見えない「底なし」を印象付ける。下げ幅は過去最大の2997.10ドル安。我々が目にしたことのない数字が電子ボードに躍った。

Number 473
新型コロナウイルスは地球規模でさまざまな形で深刻な影を落とす。長く国際政治・経済を見てきた専門家は「現代社会が経験したことのないクライシス(危機)になるかもしれない」との見方を示す。

Number 472
「首相として国民の生命と暮らしを守る大きな責任を果たすため、先頭に立ってなすべきことは決断する」。新型コロナウイルスの感染問題が表面化してからほぼ1カ月半、首相の安倍晋三が初めて記者会見を開いた。2月29日午後6時すぎ。首相官邸の記者会見場に姿を見せて延々と釈明、説明を繰り返した。

Number 471
1992年、東京・霞が関の検察合同庁舎にペンキが投げ付けられる事件があった。正面玄関前の「検察庁」と彫られた御影石は黄色と白のペンキで染まった。犯人は現行犯で逮捕されたが、動機は「政界のドン」、自民党元副総裁の金丸信を巡る巨額の政治資金規正法違反事件への検察庁の捜査にあった。

Number 470
「不規則な発言をしたことをおわびする」。2月17日午前の衆院予算委員会の集中審議は異例の首相、安倍晋三の陳謝から始まった。言うまでもなく自民党が集中審議に応じざるを得なかった原因をつくったのが安倍自身だったからだ。前週、12日の衆院予算委で質問を終えた立憲民主党幹事長代行の辻元清美に放った安倍のやじにあった。

Number 469
首相の安倍晋三が描いた「越年戦略」に大幅な狂いが生じている。安倍が一向に鎮火できない「桜を見る会」の公私混同問題に加え、衝撃の事件が政権を揺るがした。2019年12月25日午前、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業実施に深く関わってきた元内閣府副大臣でIR担当だった自民党衆議院議員、秋元司が、IRへの参入を目指す中国企業を巡る収賄容疑で、東京地検特捜部に逮捕された。

468
2020年の政治は、祭りでいえば間違いなく「本祭り」の年だ。憲政史上最長の在任記録を更新中の首相、安倍晋三が重大な決断の岐路に立たされる年になるとみられるからだ。

Number 467
臨時国会が閉会した12月9日夕、閉会に当たって恒例の首相記者会見が官邸で行われた。その会見の模様はNHKで中継放送されたが、過去の会見と比較しても相当お粗末な部類に入るのは間違いないだろう。首相の安倍晋三と内閣記者会の双方から「国民の知る権利」に応えるという使命感、熱意が一向に伝わってこなかったからだ。

Number 466
今も後悔と共に忘れられない光景がある。1982年11月30日夜、首相になった直後の中曽根康弘を、彼のブレーンで旧帝国陸軍参謀の瀬島龍三が訪ねてきたときのことだ。当時、中曽根は東京・世田谷にあった読売ジャイアンツの終身名誉監督、長嶋茂雄の家を借りていた。瀬島は紋付き羽織はかまの正装で現れた。首相番記者として質問を発した。

Number 465
「条件付きの延長になると思います」。青瓦台(韓国大統領府)に勤務経験のある韓国の外務省幹部OBの一人は一貫してこう語っていた。日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)に関して韓国が表明していた破棄決定を巡る最終判断の行方のことだ。協定が効力を失う時刻は11月23日午前0時。日本政府関係者は、こぞって破棄は避けられないとみていた。新聞にも「失効不可避」など否定的な見出しが躍っていた。

Number 464
首相官邸の玄関ホールで首相が記者団のインタビューを受けるようになったのは小泉純一郎のときからだ。それまでの旧官邸時代は、首相執務室のドアまで総理番記者が首相を取り囲むように移動しながら直接質問することができた。中曽根康弘はあまりの質問攻めに怒りをあらわにしたこともあった。

Number 463
「全く初めてのことを一つ一つ丁寧にやってきた。国民の心の中に残ることになればいい」。天皇陛下の即位を披露する「祝賀御列(おんれつ)の儀」(パレード)を終えた翌日の11日、官房長官の菅義偉は周囲にこう語った。

Number 462
「ニュースの核心はベタ記事にあり」。しばしば短い記事の陰に大きなニュースが隠れている。11月6日付の朝刊各紙の政治面に掲載された同じ内容のベタ記事もそれに当たる。
