ソニーは、EVの共同開発パートナーにホンダを選んだが、実はそれ以前に、日産自動車やトヨタ自動車、ヤマハ発動機などと次世代モビリティを試作していた。特集『ソニー・ホンダの逆襲』(全18回)の#7では、ソニーが日産などと物別れに至った経緯や、最終的な提携先としてホンダを選んだ理由、EV共同開発の真の狙いを明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文)
ソニーと日産がふいにした
“和製BYD”の夢
「ソニーのトップが、日産追浜工場(神奈川県横須賀市)にヘリに乗って、EV(電気自動車)を見にやって来た」
日産自動車関係者は、日産とソニーがひそかにEVを共同開発していた1990年代後半の忘れられない場面を語る。
日産の工場を訪れたのは、ソニー会長の大賀典雄氏だ。ソニーは当時、ビデオカメラやMDシステムなどを世界で売りまくる花形企業だった。さっそうとヘリから降り立つ大賀氏の姿は、日産の従業員の目にまぶしく映っただろう。
EVの試作を提案したのは日産の方だった。ソニーが91年に世界で初めて実用化したリチウムイオン電池の技術に目を付けたのだ。
ところが、両社のEVプロジェクトは幻に終わってしまった。
確かに、EV市場が立ち上がるのは2015年以降であり、90年代後半にEVを売り出していたら、早過ぎて失敗していた可能性が高い。だが、タイミングを見極めて発売していれば、ソニーはいまごろ、電池メーカーからEV大手に伸し上がった中国のBYDと同じような成功を実現していたかもしれない。
次ページでは、ソニーと日産が試作したEVや、ソニーとトヨタ自動車が開発した人間と心を通わせる車、ソニーとヤマハ発動機が試験走行させていた電動バイクが商品化に至らなかった原因を明らかにするとともに、ソニーが最終的に、EV開発のパートナーにホンダを選んだ理由に迫る。