木俣正剛
記者は面白い文章を書ける人たちだと思われており、元文春編集長の著者は、「どうすれば文章が上手くなるのか」という相談をよく受ける。実は、面白い文章を書くためにはテクニックは要らない。誰でも読者の心を動かすことができる「文春流文章術」をお伝えしよう。

かつて文芸春秋が手がけた『太平洋戦争の肉声』シリーズ。肉声だからこそ、第2次世界大戦に向き合った日本人の姿が浮かび上がってくる。中には、これまで知られていなかった有名人たちの意外なエピソードもある。あの時代、日本人は何を考えていたのだろうか。

雑誌には歴史上、重要な人々の多くの証言が肉声で残っている。中でも『文芸春秋』は、皇室の方々のご登場やご寄稿が多かったことで知られる。日中戦争から東日本大震災まで、同誌には皇室の様々な知見が紹介され、今も読む者に深い感動と教訓を与え続けている。

東日本大震災から10年がたつ。震災では「想定外」の出来事が相次ぎ、日本列島に甚大な被害をもたらした。そんな中、「想定外」を想定し、震災直後から被災地の復興に尽力していた関係者もいる。当時、東北の道路復興を助けた国交省職員の横顔に迫る。

週刊誌記者に「張り込み」のイメージを持っている人も多いだろう。記者は日々、証拠を押さえるためにどんな苦労をしているのだろうか。車に乗ってアンパンをかじって見張るというのは、刑事の特権。記者は様々な工夫を凝らし、機転を利かせて対象人物に迫っている。

1990年代、週刊文春のスクープなどにより北朝鮮拉致問題が世間に知られ始めたある日、拉致された有本恵子さんの手紙が文春編集部に届いた。そこには普通の女子大生が北朝鮮に拉致された、詳細な証拠が書かれていた。この手紙は拉致報道の流れを変えた。

今では、週刊誌が名誉棄損で訴えられることは珍しくない。現役時代に1年で20件以上もの訴訟を抱えていた元文春編集長が、証言台から見た裁判官たちの姿を明かす。時には、世間のイメージからはかけ離れた彼らの素顔を垣間見ることもあったという。

人と会うのが仕事の編集者は、相手に合わせてお店も変える。グルメな人たちばかりではないが、著者や取引先との商談・謝罪に使える雰囲気がいい店の情報を豊富に持っていることが多い。ベテラン編集者がお世話になっている、超穴場のグルメスポットを紹介しよう。

2018年、出版業界の流通を変えたコンビニ最大手のセブン-イレブンと週刊文春がコラボし、元旦発売の限定雑誌をつくった。出版社にとって、異業種コラボは目から鱗の連続だった。当時、文春編集長の心に深く残った、雑誌と読者の絆を深める「絶大な効果」とは。

今も新型コロナウイルスのパンデミックは収まらず、不安な日々が続く。かつて似たように日本を激震させたO157事件では、危機に際しての報道のあり方が問われた。あのとき、食中毒の真犯人とされたカイワレ大根について、別の見方があったことをご存じだろうか。

記者は海外の情報機関と関係を持つ際に、「協力者」として引きずり込まれそうになることがある。道を踏み外さないための心得とは何か。元文春編集長が、1980年代に列島を揺るがしたスパイ「レフチェンコ」への取材や、各国の情報機関とのやり取りについて明かす。

『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。なぜ文春にジブリ文庫があるのか。鈴木敏夫氏との縁で始まったジブリと文春のつながり、そして世に出ることがなかった「幻のジブリキャラクター」とは。

大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた、スクープ系の最右翼受賞作『闇の男 野坂参三の百年』。1990年代まで共産党の伝説の英雄だった、野坂参三の「神話」を打ち壊したノンフィクション作品だ。彼の巨大な闇を暴いたジャーナリストたちの素顔と執念とは。

平成最大の未解決事件、世田谷一家殺害事件は、12月30日に事件発生から20年目の節目を迎える。いくつもの手がかかりがありながら、なぜ犯人を逮捕できなかったのか。真実に肉薄していた捜査の過程を見続けてきた元文春編集長が、その全貌を語る。

文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。ノンフィクション作家・保阪正康と「昭和の怪物」と呼ばれる瀬島龍三の素顔に迫った日々を述懐する。

かつて文春で連載していた、劇団四季の創設者・浅利慶太と一流の経営者たちの対談では、毎回忘れられない名言が飛び出していた。伊藤淳二、磯田一郎、平岩外四、坂倉芳明、飯田庸太郎、江戸英雄、川瀬源太郎――。一流だからこその視点が、そこにはあった。

劇団四季の創設者・浅利慶太氏がミュージカルを日本に根付かせた背景には、それまで限られたファンのための娯楽であったミュージカルをビジネスに育て上げようとした、並々ならぬ情熱があった。実は、その成功には文芸春秋の存在が深く関わっていた。

昭和を代表する文豪、司馬遼太郎さんと山崎豊子さん。言わずと知れた「超」が付くほどの大物だが、その素顔はあまり知られていない。かつて文集の編集長として彼らと間近に接した著者が、思わず頭が下がる思いになったエピソードを紹介しよう。

週刊誌報道の一線に身を置いてきた元文春編集長が語る「あの事件の舞台裏」。週刊誌は特集だけではなく、連載の根強いファンに支えられている。世界一長く続く連載としてギネスブックに認定された林真理子さんの「発信力」の秘密とは何だろうか。

文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。文春流のお付き合いをした2人の作家、宮部みゆきと宮城谷昌光の横顔に見る「天才たるゆえん」とは。
