「財政健全化」が戦争を招く!?

中野 そうです。これは歴史上、先例があるんです。第二次大戦前の、イギリス、フランスとドイツの関係です。

 第一次大戦後のフランスは、金本位制の下でフランの価値を維持するために均衡財政を志向していたため、1930年から33年にかけて軍事費を25%も削減し、1930年の軍事費の水準は1937年まで回復しませんでした。これに対して、1933年から38年までの間、ナチス・ドイツは軍事費を470%も増やしたんです。

 イギリスも同様です。当時のイギリスの政府内では大蔵省の影響力が支配的で、外務省がヨーロッパにおける政治的危機に対する積極的な関与を主張しましたが、大蔵省はこれに反対して宥和政策を唱えて、外務省を抑えました。しかも、大蔵省は、財政上の理由から、1939年3月まで陸軍の拡張に反対し続けたのです。

 このように、健全財政論のイデオロギーがフランスやイギリスを縛っていたために、ヨーロッパの勢力均衡の崩壊とナチス・ドイツの台頭を招いて、それが第二次世界対戦の勃発へとつながっていったんです。

――それと同じ過ちを日本は犯していると?

中野 ええ。戦争は国家間の勢力均衡が崩れたときに起きることは、歴史が教えることです。国家のあり方は他国との関係性において規定されるのですから、一国平和主義は幻想と認めなければなりません。隣国が軍事力を飛躍的に強化したときには、それに応じた戦略をもってパワー・バランスを維持しなければ、平和を保つことはできないんです。

――平和のためにこそ、国防の議論を真剣にすべきだと?

中野 そうです。ところが、いまの日本では、財政担当は国防よりも目先の財政健全化を優先し、国防担当は「財政的に無理」と言われると反論できないのが実情です。そのために、日本は「世界の現実」にまともに向き合うことができないでいます。非常に危険な状態にあると言わざるを得ないでしょう。

――そうなんですか……。

中野 それに、国際環境の不確実性がはなはだしく増大しているということは、エネルギー安全保障や食糧安全保障などのリスクも増大しているということです。第二次大戦後の日本は、エネルギー供給や食糧供給の大半を海外に依存しながら、経済的な繁栄を享受してきましたが、このような異例の国家運営が可能であったのも、アメリカという覇権に支えられた世界秩序があったからです。しかし、アメリカのグローバル覇権という前提が壊れた以上、かつての国家運営に安住することはできません。

 たとえば、日本の食糧自給率はきわめて低く、穀物の大半をアメリカからの輸入に頼っているのが現実です。現在までのところ、深刻な事態には至っていませんが、もし、物理的な供給が制限されるようなことになれば、食糧危機に陥ることになります。

 しかも、気候変動、水不足、人口増により、世界的な食糧不足が危険視される状況にあります。実際、アース・ポリシー研究所所長のレスター・ブラウンも「食糧を巡る新たな地政学」という論文で、食糧を巡る世界的な争奪戦が激化すると警鐘を鳴らしています。そして、食糧供給を巡る競争の激化で、第二次世界大戦後の国際協調の時代から、食糧ナショナリズムの時代へと移行したと述べているのです。

 さらに、現在のコロナ禍によって、世界中の国々が「自国中心主義」にならざるを得ない状況に陥っています。国連やWTOが、コロナ危機により食料の供給が寸断されるリスクを懸念しています(https://www.jiji.com/jc/article?k=20200403039911a&g=afp)。安全保障の観点からも、非常に危険な状況に陥りつつあると認識すべきでしょう。

――恐ろしい話ですね……。

中野 そのような時代に、日本が食糧安全保障を維持するためには、長期的な視点にたった国家政策が決定的に重要です。

 たとえば、イギリスは、第二次世界大戦後に食糧不足に陥り、アメリカからの援助を受けていました。1960年当時も、イギリスの穀物自給率(重量ベース)は52%にとどまっていたんです。

 しかしイギリスは、アメリカ依存からの脱却をめざして、1980年代に、100%を超える穀物自給率を達成しました。その間、実に20年のときが経っているのです。つまり、今から10〜20年の間に、私たちがどのように行動するかによって、将来の日本の安全保障はかかっているのです。

(次回に続く)

連載第1回 https://diamond.jp/articles/-/230685
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中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。