「成長戦略」が成長を阻害する

 さて、「分配なくして成長なし」が正解なのだとすると、「成長なくして分配なし」説に基づく経済政策は、格差の是正はもちろんのこと、成長すらももたらさないという無惨な結果をもたらすこととなろう。

 というのも、「成長なくして分配なし」とは、文字通り、成長しない場合は、分配政策は実施されないことを意味する。

 しかし、分配による格差是正がなければ成長できないのであれば、いくら待っても成長は実現せず、結果として分配政策もいつまでも発動されない、という悪循環に陥るのである。

 これに対して、「分配政策以外のやり方、すなわち成長戦略によって成長させればよいではないか」という反論があるかもしれない。

 一見すると正論に見えるが、問題は、「成長戦略」の中身である。

 すでに述べたように、「成長戦略」とは、たいていの場合、生産性の向上を目指す供給サイドの政策のことを意味する。規制緩和や自由化といった構造改革が、その典型である。

 しかし、格差社会の問題は、消費需要が弱いことにある。

 消費需要が不十分な状態で、供給サイドを強化する政策を実施すれば、需要不足(供給過剰)がますます深刻になる。要するに、デフレ圧力が発生するのである。

 需要不足(デフレ)の状態では、成長は、ほとんど期待できない。

 皮肉なことに、「成長戦略」が成長を阻害するという結果になるのだ。

 そして、この皮肉な結果を20年以上にもわたって繰り返し実証してきたのが、我が国にほかならない。

 要するに、「成長なくして分配なし」「分配政策より成長戦略を優先すべきだ」と唱える論者たちは、実は、その言葉とは裏腹に、どうやったら経済が成長するのかをよく分かっていないということだ。

 もちろん、供給サイドの成長戦略も、重要ではある。

 ただし、供給サイドの成長戦略が実際に成長をもたらすには、需要が十分に拡大しているという環境条件が必要となるのである。

 需要を増やすためには、消費性向の高い低所得者に所得を分配することが効果的である。

 言わば、生産性の向上を目指す供給サイドの政策が、成長促進効果を発揮するための環境条件を整えるのが、分配政策なのである。

 したがって、真の「成長戦略」には、分配政策が不可欠なのである。いや、分配政策こそが成長戦略であると言っても過言ではない。

「分配なくして成長なし」と述べた岸田首相は、そのことを分かっているのかもしれない。

 ところが、その岸田首相の分配重視への改革を批判し、「成長なくして分配なし」という旧来の誤った路線へ戻そうとする人たちの方が、むしろ成長重視の改革論者であるかのように言われているのである。

 問題の根は実に深いと言わざるを得ない。

 なお、世界の潮流が、いかにして「分配なくして成長なし」へと転換していったかについては、『変異する資本主義』において詳説したので、参考にされたい。

中野剛志(なかの・たけし) 
1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism"(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。