みずほフィナンシャルグループは、度重なるシステム障害などで執行部トップの引責辞任という未曽有の危機に陥った。社外取締役が激論の末に決断したのが、旧体制との決別と3メガバンクで初となる「平成入行組」の新トップの起用である。社外取はどう動いたのか。混迷を極めた新トップ選定の舞台裏を明かす。(ダイヤモンド編集部編集委員 名古屋和希)
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「平成入行組」トップを全会一致で決定
旧3行の「たすき掛け」から興銀支配へ
「ご異議ありませんか」。今年1月10日、東京・大手町にあるみずほフィナンシャルグループ(FG)の本社。経営トップ選定を議論するみずほFG指名委員会の委員長で元最高裁判所判事である甲斐中辰夫氏が、4人の指名委員に順に問い掛けていく。4人から異論が出ることはなかった。
全会一致である。システム障害などの責任を取り、FG社長を引責辞任すると表明した坂井辰史氏の後任として、執行役の木原正裕氏(現社長)を起用することが決まった瞬間だった。
平成入行組のトップは3メガバンクでは初となる大胆な若返り人事だ。だが、新トップを選定して間もなく、指名委員の一人からこんな声が漏れた。「また興銀か、まずいな」。
2000年に日本興業銀行と第一勧業銀行、富士銀行の三つの名門行が統合して誕生したみずほは、長く旧3行で首脳のポストを分け合ってきた。だが、“あしき慣習”が旧行意識を色濃く残し、派閥争いを生んできた。
転機となったのが、13年に発覚したみずほ銀行による暴力団融資問題である。第一勧銀出身で当時のみずほFG会長の塚本隆史氏が引責辞任する一方、興銀出身の佐藤康博FG社長(前会長)は留任した。
内部の勢力争いに明け暮れていたみずほグループは、佐藤氏のリーダーシップの下で一つにまとまりつつあるように見えた。
だが、その一体感は前向きのものだとは言い難い。佐藤氏の後任となった坂井氏の出身行も興銀で、2代続けてトップは興銀出身となった。約10年にわたり、興銀がほかの旧2行を抑えてきたのだ。
新トップに指名された木原氏も出身は興銀である。指名委員が漏らした言葉は、再び興銀出身者を起用することで、行内外で、長く続いてきた「興銀支配」に対する反発の声が上がることを予感したからにほかならない。
ではなぜ指名委員会は自ら木原氏を指名しておいて、直後のタイミングでそんな本音が漏れたのか。その答えは新トップの選定過程にある。
次ページからは、システム障害を引き金とする坂井氏の引責辞任という混迷の中で社外取締役がどのように選定を進めたかとともに、指名委員会での議論の具体的な中身も明らかにする。実は指名委員会は当初は木原氏以外の案も有力で、外部経営者の招聘も議論されたが、複数の事情で大きく方向転換していった。