【106】2018年
堕ちた日産のカリスマ
ゴーン逮捕と国外逃亡
1999年、当時の日産自動車は、まさに瀕死の状態にあった。92年以降の7年間で、最終赤字に陥ること6回。自動車関連事業の有利子負債は約2兆円に膨らんでいた。そんな日産の窮地を救ったのが仏ルノーだった。ルノーは日産に6430億円を出資するとともに、再建請負人としてカルロス・ゴーンを最高執行責任者(COO)として送り込んだ。着任するとゴーンはすぐさま「日産リバイバルプラン」を策定。文字通り日産をリバイバル(復活)させ、たちまちカリスマ経営者として脚光を浴びた。
それから19年後の2018年11月、ゴーンは東京地検特捜部により金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。有価証券報告書に記載する自身の役員報酬額について、約50億円少なく見せかけたという容疑である。その後、日産の社内調査により会社資産の私的流用などが続々と判明し、一連の不正による日産の被害額は350億円以上と推定されている。カリスマの突然の失墜(しっつい)と、明かされた実像に、世間は衝撃を受けた。
事件について、日産の経営陣は正当な内部告発に基づいて調査が行われた結果だと主張した一方、ゴーンは、日産の経営陣による告発は自身を排除するための「クーデター」であると主張した。逮捕直後の2018年12月1日号「ポスト・ゴーン新体制が仕掛ける 日産、仏ルノー排除の仰天策」で本誌は、「周到な準備をして、ゴーン総帥を切り捨てる大きな賭けに出た」と書いている。寝耳に水のルノー側と違い、日産にとってはポスト・ゴーン体制についてじっくり戦略を組み立てた上での告発だったとの読みである。
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11月1日、20年近くにわたって仏ルノー・日産自動車グループに君臨したカルロス・ゴーン氏が成田空港に着陸するや否や、有価証券報告書の虚偽記載等の疑いで東京地検特捜部に逮捕された。
同日の緊急会見で、西川廣人・日産社長兼最高経営責任者(CEO)は「数カ月の内部調査を経て、容認できない重大な不正があり解任を決断した」と説明している。
すでに、異変は起きていた。5月18日に突如として、最高財務責任者(CFO)をジョセフ・ピーター氏から軽部博氏へ交代したのだ。ある日産幹部は、「ピーターの首を切ったのはゴーンさんだが、軽部さんがCFOに就いたことで内部調査を進めやすくなった」と言う。有報の虚偽記載は財務部門の関与なくして不可能であり、この幹部人事がゴーン逮捕劇の起点になったとみられている。
社内で内部調査の存在を知っていたのは、「社長を除けば、軽部CFO、山内康裕CCO(チーフ・コンペティティブ・オフィサー)、ハリナダ専務執行役員などに限られていた」(日産幹部)。西川社長らは超厳戒態勢を敷きつつ、水面下では当局と相談。周到な準備をして、ゴーン総帥を切り捨てる大きな賭けに出た。
現経営陣がゴーン失脚のクーデター計画を描いたと読めなくもないが、クーデターとするには現経営陣の責任放棄が過ぎるだろう。
ゴーン氏らの不正を放置し続けた企業としての責任は重い。仮に、司法取引制度が適用されて日産幹部が刑事処分を免れたとしても、民事では株主代表訴訟が提起されるリスクは捨て切れない。
「何とか日産を守らねば」――西川社長による賭けの成果は、皮肉にも、ゴーン統率下ではバラバラだった日本人幹部の間に、妙な連帯感を生んでいることかもしれない。一枚岩の結束が、ポスト・ゴーン体制の原動力になりそうだ』
ゴーン逮捕後、暫定的にCEOに就任した西川廣人も、その後の報酬に関する問題で辞任。現在は、2019年にCEOに就任した内田誠が、経営の透明性やガバナンスの強化を含む日産の立て直しに臨んでいる。ゴーンの支配力が弱まった後、連合を組む三菱自動車とともにルノーからの影響を最小限に抑えようとする動きも見せたが、2023年にルノー・日産・三菱自動車の3社アライアンスの新たな枠組みが再構築され、関係は維持されている。
そしてゴーンは保釈中の19年12月、厳しい監視下にもかかわらず日本を秘密裏に脱出し、レバノンに逃亡した。大型の楽器ケースに隠れて、プライベートジェットを使って脱出したとされている。その後、レバノンで記者会見を開き、日本の司法制度を批判した。事件の審理は、日本国内ではゴーン不在のまま進行している。